木瓜紋とは|五瓜に唐花の意味と由来
木瓜紋とは|五瓜に唐花の意味と由来
木瓜紋(もっこう)は、中央の唐花を外郭弁で囲む二重構造を持つ家紋で、十大家紋・五大紋にも数えられる普及度の高い紋です。名前は植物のボケと同じ字を使いますが、家紋としての由来は別で、唐代中国の有職文様「窠紋」に遡り、平安時代の御簾を飾る帽額の文様に使われたことが「もっこう」の呼び名につながりました。
木瓜紋(もっこう)は、中央の唐花を外郭弁で囲む二重構造を持つ家紋で、十大家紋・五大紋にも数えられる普及度の高い紋です。
名前は植物のボケと同じ字を使いますが、家紋としての由来は別で、唐代中国の有職文様「窠紋」に遡り、平安時代の御簾を飾る帽額の文様に使われたことが「もっこう」の呼び名につながりました。
意味は子孫繁栄で、鳥の巣に卵が多い連想や、御簾が吉祥の調度とされた考えが背景にあります。
京都・八坂神社が「五瓜に唐花」を神紋として広めたことで、祇園信仰とともに各地へ浸透し、庶民の家紋としても定着していきました。
墓石や紋付の写真では、外郭弁を一枚ずつ数えて五瓜か六瓜かを確かめると、見分けの糸口がすぐつかめます。
織田信長で知られる織田木瓜は「五瓜に唐花」を細身に整えた形で、唐花の大きさや瓜の間隔の違いが手がかりになるでしょう。
自分の家の木瓜紋がどれかを知りたいなら、外郭弁の数に加えて丸・剣・庵などの付属要素を見ていきましょう。
種類の違いと代表的な使用家を押さえれば、木瓜紋の全体像はぐっと整理しやすくなります。
木瓜紋とは|読み方と一目でわかる特徴
木瓜紋は「もっこう」と読み、家紋の中でも目に入りやすい二重構造をもつ紋です。
中央に置いた唐花を外郭弁がぐるりと囲む形が基本で、見慣れると輪郭の差だけで系統の違いまで追えるようになります。
十大家紋・五大紋に数えられるほど普及しており、紋付や墓石で「きゅうりの輪切りのようだ」と感じた印象も、この形に由来する見方へつながっていきます。
木瓜紋の読み方は「もっこう」
木瓜紋は「もっこう」と読みます。
漢字だけを見ると木瓜の文字から別の呼び名を連想しやすいものの、家紋としてはまずこの読みを押さえておくのが大切です。
読みが分かると、以後は形の理解に集中できますし、由来の議論でも呼び名の混乱に引きずられません。
名称を押さえることは、見た目の印象を整理する第一歩です。
中央の唐花+外郭弁という基本デザイン
木瓜紋の基本形は、中央に4弁の唐花を置き、その周囲を外郭弁と呼ばれる花弁状の枠で囲む二重構造です。
ここは覚え方がシンプルで、中央の花と外側の枠を分けて見るだけで構造がすっと分かれます。
外側の弁の数や囲み方が変われば、同じ木瓜系でも印象ががらりと変わるため、後の派生紋を読む際の基準にもなるでしょう。
丸に木瓜、立ち木瓜、庵に木瓜、剣木瓜、木瓜二つ引きといった名前も、まずこの骨格を見れば追いやすくなります。
普及度の高さも木瓜紋の特徴です。
十大家紋・五大紋に数えられるほど広く用いられ、家紋に詳しくない人でも、紋付や墓石、寺社の意匠で一度は目にしている可能性が高い紋だといえます。
織田氏、朝倉氏、工藤氏、滝川氏などの使用も知られ、地域によっては北陸や東北で見かけやすい傾向もあります。
見慣れているのに名前までは知られていない、そんな代表格です。
子孫繁栄を願う吉祥紋としての位置づけ
木瓜紋に込められた意味は子孫繁栄です。
鳥の巣を思わせる円いまとまりや、卵を抱くイメージが重なり、吉祥を願う紋として好まれてきました。
御簾の上縁を飾る帽額の文様に使われたことから「もっこう」という呼称が結びついたとされる点も、単なる模様ではなく、調度や格式と接した紋だったことを示しています。
つまり木瓜紋は、形の美しさだけでなく、家の続きとめでたさを同時に表す紋なのです。
さらに、木瓜紋は祇園信仰と結びついた神紋の系譜も持っています。
京都・八坂神社が「五瓜に唐花」と「左三つ巴」を神紋とし、その信仰が各地の祇園社や天王社へ広がったことで、庶民の家紋としても広まりました。
断面がキュウリの輪切りに似るという感覚は、この紋を見たときの第一印象として自然ですし、7月の祇園祭で氏子がキュウリを避けるという俗説まで生んだのは、木瓜紋が暮らしの感覚にまで入り込んでいた証拠ではないでしょうか。
木瓜紋の由来|植物のボケではない4つの説
木瓜紋は、植物のボケを指す木瓜と字が同じでも、そこから生まれた家紋ではありません。
読みの「ボケ」と「もっこう」も成り立ちも別系統で、まずこの混同を切り分けることが大切です。
家紋としての木瓜紋は、唐代中国の有職文様である窠紋(かもん)に遡り、奈良時代には日本でも文様として用いられるようになりました。
御簾の帽額(もこう)が呼び名の有力な由来
「もっこう」という呼び名の有力説は、平安時代に御簾の上縁を飾る帽額(もこう)の文様として使われたことにあります。
御簾は神社や寺、あるいは公家の場で目にする、垂れ下がる簾の上部を飾る布や装飾です。
そこに映える文様として木瓜形が用いられ、「もこう」が転じて「もっこう」になり、後から木瓜の字が当てられたと考えると、呼称の流れがすっと見えてきます。
この説が重要なのは、木瓜紋が単なる図形ではなく、宮中調度や格式の高い場と結びついて育った文様だとわかるからです。
御簾の帽額に用いられたとすれば、吉祥性や場の格を支える意匠として扱われたはずで、のちに家紋へ広がった理由にもつながります。
木瓜紋は子孫繁栄を意味するとされますが、その背景には、卵を抱える鳥の巣のイメージや、めでたい調度としての御簾文化が重なっているのでしょう。
鳥の巣(窠)を表すという説と子孫繁栄
別の有力な見方では、木瓜紋の形は鳥の巣、つまり窠を上から見た姿に由来するとされます。
中央の唐花を外側の瓜形が囲む二重構造は、巣の中に命が集まるイメージと相性がよく、そこから子孫繁栄の意味が強く結びついたと考えられます。
図案そのものが「包み込む」「守る」「増える」という感覚を持っているため、家を守る印として使いやすかったのでしょう。
木瓜紋が十大家紋・五大紋に数えられるほど広まったのも、こうした縁起の良さが背景にあります。
代表的な使用家に織田氏、朝倉氏、工藤氏、滝川氏があり、北陸や東北にやや多い分布も見られます。
信仰面では京都・八坂神社(祇園社)が「五瓜に唐花」と「左三つ巴」を神紋とし、祇園信仰の広がりとともに各地へ伝わったことが、庶民の間での定着を後押ししました。
祇園祭でキュウリを避ける俗説まで結びつくのは、紋の意味が暮らしの習慣にまで染み込んだ証拠です。
瓜の切り口・木香バラ説と『木瓜』表記の経緯
由来にはほかにも、断面が瓜の切り口に似るという説、木香バラの花に由来するという説があります。
外郭弁の数で五瓜、六瓜、八瓜に分かれ、丸に木瓜、立ち木瓜、庵に木瓜、剣木瓜、木瓜二つ引きなど、派生が驚くほど多いことを考えると、図案・呼称・漢字表記が別々の経路で結びついた可能性は高いでしょう。
だからこそ、「これが唯一の正解」と言い切れない奥行きがあります。
表記の面でも、後から木瓜の字が当てられた経緯を忘れてはいけません。
植物のボケも同じ木瓜と書くため誤解されがちですが、家紋の木瓜紋とは成り立ちが違います。
しかも木瓜紋は、唐代中国の窠紋に始まる来歴を持ちながら、日本で帽額や家紋の文脈に入り、さらに鳥の巣説や瓜の切り口説、木香バラ説まで重なってきた文様です。
漢字表記、呼称、図案の三つがそれぞれの道をたどったからこそ、木瓜紋は一筋縄では説明しきれない家紋になったのです。
木瓜紋の意味|子孫繁栄と神社のご利益
木瓜紋は、卵を多く抱える鳥の巣のイメージから子孫繁栄を象徴する吉祥紋として受け取られてきました。
家が末永く続くことを願う感覚と結びつきやすく、見た目の柔らかさの奥に、かなり強い願いが宿っています。
さらに御簾そのものが神聖で吉祥な調度と考えられていたため、その装飾文様だった木瓜紋にも、神に守られる印やめでたい印という性格が重なっていきました。
鳥の巣の連想からくる子孫繁栄
木瓜紋の核にあるのは、鳥の巣から広がった子孫繁栄の連想です。
巣の中には卵がいくつも並び、そこからひなが次々に育つため、ひとつの命が連なって家が栄えていく姿と重ねやすいのです。
図案としてはひとつの輪郭に見えても、受け取られ方はかなり豊かで、吉祥紋として選ばれる理由はそこにあります。
単なる装飾ではなく、家の存続を願う記号だったわけです。
この連想は、暮らしの中で見える具体物から生まれている点が面白い。
抽象的な幸福ではなく、卵が増える、命が続く、家が守られるという実感に寄り添うからこそ、木瓜紋は長く好まれました。
自分の家紋にこの形を見つけたとき、どこか誇らしく感じるのは自然でしょう。
神社の紋と同じだと知れば、親近感もいっそう増します。
八坂神社の神紋『五瓜に唐花』
木瓜紋の信仰面を象徴するのが、京都・八坂神社です。
八坂神社(祇園社)は『五瓜に唐花』と『左三つ巴』の二つを神紋とし、木瓜紋が単なる文様ではなく、神社の象徴として扱われてきたことをはっきり示しています。
祇園祭や八坂神社を訪れると、提灯や幕に並ぶ巴と木瓜の紋が目に入り、神紋が境内の空気を作っていることがよくわかります。
見慣れた図案なのに、場が変わると急に重みを帯びるのです。
御簾はもともと神聖で吉祥な調度でした。
そこに施された木瓜紋もまた、装飾の範囲を越えて、神に守られる、めでたい、という意味を背負うようになります。
木瓜紋が美しいだけでなく格式を感じさせるのは、この信仰的な層があるからです。
祇園信仰とともに全国へ広がった背景
八坂神社を総本社とする祇園信仰が全国へ広がると、各地の祇園社や天王社も同じ神紋を用いるようになりました。
神社の紋として繰り返し見られるうちに、木瓜紋は庶民の家紋としても受け入れられていきます。
神社の象徴を身近な家の印に取り込むことで、守りや格式を自分の暮らしに引き寄せられるからです。
ここに、家紋としての普及が起きた理由があります。
木瓜紋の意味は、子孫繁栄という願いと、神社神紋としての信仰的格式の二層で成り立っています。
図案の形だけを見ていると見落としやすいですが、その背後には家の継承を願う気持ちと、祇園信仰がもたらした広がりが重なっています。
だからこそ木瓜紋は、単なる模様以上の重みを持つのです。
五瓜に唐花とは|八坂神社の神紋
五瓜に唐花は、木瓜紋のなかでも最も代表的な形で、外郭弁が5枚の「五瓜」の中央に唐花を置いた紋です。
名称をそのまま分解すると、何枚の弁でできているかと、中心に何を据えるかがそのまま見えてきます。
八坂神社の神紋として広く知られ、神事の幕や提灯、社殿装飾などで目にする機会が多いのも、この紋が格式の高い意匠として扱われてきたからです。
『五瓜』とは外郭弁が5枚の木瓜
五瓜は、外郭弁が5枚ある木瓜の呼び名です。
外郭弁の数がそのまま名称を決めるため、6枚なら六瓜、8枚なら八瓜になります。
なかでも五瓜は最も一般的で、木瓜紋を見たときにまず思い浮かぶ基本形だと考えてよいでしょう。
外郭弁を一枚ずつ数えてみると、紋の見方が一気に具体的になります。
ぱっと見では似た形に見えても、5枚か6枚かで呼び名が変わるため、実際に輪郭をたどって確認すると理解が早いのです。
五瓜は種類の入り口にあたり、ここを押さえると後で出てくる木瓜紋の細かな違いも追いやすくなります。
中央の『唐花』が表すもの
五瓜に唐花は、外郭だけではなく中央の意匠にも意味があります。
唐花は、花の姿を図案化して置いたものとして受け取るとわかりやすく、木瓜紋全体に格を与える中心部の役割を担います。
五瓜という輪郭だけでは素朴な印象になりますが、中央に唐花が入ることで、神紋らしい密度と存在感が生まれるのです。
ここで大切なのは、五瓜に唐花が特定の家だけの紋ではなく、一般名称として通じる型だという点です。
八坂神社の神紋として広く知られているため、次に織田木瓜との違いを見比べる前提にもなります。
紋の名前を正しく押さえておくと、似た意匠を見ても混同しにくくなるでしょう。
祇園祭とキュウリにまつわる風習
五瓜に唐花は、断面の見え方がキュウリの輪切りに似ることから、祇園祭の期間である7月に氏子がキュウリを食べないという風習の俗説と結びつけて語られることがあります。
地域でこの話を聞いたとき、紋の形がそのまま生活の戒めや言い伝えに重なるのだと感じました。
もちろん、あくまで言い伝えとして紹介されるもので、事実関係を断定する話ではありません。
この切り口は、神紋が単なる図案ではなく、暮らしの中で意識されてきたことを教えてくれます。
神事の幕や提灯、社殿装飾に五瓜に唐花を見つけたら、輪郭の5枚を数え、中央の唐花まで確かめてみてください。
そうすると、紋が祭礼の空間と日常の感覚のあいだをつないでいることが、かなり実感しやすくなるはずです。
織田木瓜とは|織田信長の家紋と五瓜に唐花の違い
織田木瓜は、織田信長の家紋として知られる紋で、基本の形は五瓜に唐花と重なります。
けれども呼び名の意味は同じではなく、五瓜に唐花が一般名称であるのに対し、織田木瓜は織田家固有の呼称です。
細身に整えられた花のような印象があり、唐花の大きさや瓜の間隔に目を向けると、見分けの手がかりがつかめます。
織田木瓜と五瓜に唐花の見分け方
織田木瓜は、五瓜に唐花をそのまま縮めたものではなく、全体をやや細身に整えたうえで、中央の唐花を小さめに見せる傾向があります。
外郭の瓜どうしの間隔も広めで、実物を旗印や陣笠で見ると、五瓜に唐花より軽やかで、花弁がすっと開いたように感じられるでしょう。
大河ドラマや歴史展示で目にした織田木瓜の旗印を思い出しながら、唐花の大きさと輪郭の締まり方を比べると、意外と差が見えてきます。
| 観点 | 織田木瓜 | 五瓜に唐花 |
|---|---|---|
| 呼称 | 織田家固有の呼称 | 一般名称 |
| 全体の印象 | 細身で花のよう | 標準的で均整的 |
| 中央の唐花 | やや小さめ | 比較的目立ちやすい |
| 外郭弁の間隔 | 広めになりやすい | まとまりが強い |
| 丸の有無 | 丸を付けないのが一般的 | 丸にを伴うことがある |
もっとも、違いは比例や囲みの有無といった微妙な部分にあり、文脈なしに一目で断定するのは難しい場合があります。
だからこそ、図案そのものだけでなく、どの家や場面で使われたかを合わせて見るのが手堅い見方になるのです。
木瓜紋という大きな系統の中で、織田家がどの形を選んだのかを意識しておくと、似た意匠に惑わされにくくなります。
織田信長は複数の家紋を併用した
織田信長は織田木瓜だけを使っていたわけではなく、永楽銭や揚羽蝶など複数の家紋を場面で使い分けた。
7種とする資料もあるため、木瓜紋を見た瞬間に「織田だけ」と決めつけるのは危ういです。
家紋は固定標識というより、権威の示し方や場の格式に応じて選ばれる実用品でもありました。
この点は、信長像を考えるうえで示唆的です。
ひとつの紋を家の絶対的な記号として覚えるより、どの紋がどの文脈で現れるかに注目したほうが、戦国期の使い方に近づけます。
織田木瓜はその中心にある一方、他の意匠と並んで使われたことで、信長の権威演出を支える役目も担っていたのでしょう。
拝領の経緯にまつわる諸説
織田木瓜の拝領については諸説あり、信長の父・信秀が主家から授けられたと伝わります。
ただし授与元は尾張守護の斯波氏とも越前の朝倉氏ともいわれ、そこは確定していません。
家紋の由来は美談として単純化されやすいものの、実際には伝承が分かれたまま受け継がれることが多いのです。
この曖昧さは、むしろ中世から戦国にかけての贈与関係の複雑さを映しています。
誰が誰に与えたかが一筋縄ではいかないからこそ、後世の記録でも揺れが残る。
断定しきれない部分を残したまま読むと、家紋が単なる図案ではなく、主従や由緒を背負った記号だったことが見えてきます。
木瓜紋の種類|丸・剣・庵などの代表バリエーション
木瓜紋は、外郭の弁の数と、丸や剣、庵のような付属要素や組み合わせ方で見分けると整理しやすい紋です。
まず弁を数え、次に外周の囲みや上部の形を確かめるだけで、似て見える図柄の差がぐっと明確になります。
丸の有無や剣の有無を一つ取り違えるだけで別名になるため、見た目の印象だけで判断しないことが同定の近道でしょう。
外郭弁の数による分類
木瓜紋の基本は、外郭の弁の数を見るところから始まります。
五瓜・六瓜・八瓜に大別でき、なかでも五瓜が最も広く見られ、弁が増えるほど輪郭は細かく、図形としての密度も高くなる。
手元の紋を見たとき、まず弁を数えるだけで候補を絞れるので、同定の入口としてはこの順番がいちばん実用的です。
弁数の違いは、単なる見た目の差ではありません。
五瓜は木瓜紋の標準形として理解しやすく、六瓜や八瓜はそこから意匠を洗練させた派生として捉えると迷いにくいでしょう。
細部が増えるほど線の交差や余白の取り方が変わるため、離れて見ると似ていても、近づくほど別の家紋名だと分かることがある。
分類の第一歩は、やはり弁を数えることだ。
丸・剣・庵を組み合わせた派生紋
木瓜紋の幅を広げているのは、外郭の形そのものよりも、周囲に何を足すかという工夫です。
外周を円で囲めば丸に木瓜になり、縦長に整えれば立ち木瓜(竪木瓜)になる。
さらに屋根形の枠を載せれば庵に木瓜、剣を組み合わせれば剣木瓜となり、同じ木瓜でも名前と印象ががらりと変わります。
ここで重要なのは、付属要素が増えるほど「木瓜らしさ」を保ちながら家ごとの個性を出せる点にあります。
| 派生名 | 形の特徴 | 見分ける要点 |
|---|---|---|
| 丸に木瓜 | 外周を円で囲む | 外側の丸があるか |
| 立ち木瓜(竪木瓜) | 縦長に整える | 横より縦の収まりを見る |
| 庵に木瓜 | 屋根形の枠を載せる | 上部の庵形があるか |
| 剣木瓜 | 剣を組み合わせる | 先端の鋭い要素を見る |木瓜を目で追うときは、弁の数を数えたあとに囲みを見る、さらに付属要素を見る、という順で確かめると判断しやすい。
丸があるかないか、剣があるかないかを取り違えるだけで別の紋名になるので、紋帳の図をうのみにせず、形の差を一つずつ拾う姿勢が欠かせない。
工藤氏の庵木瓜や滝川氏の丸に立ち木瓜は、その差が家の名として固定された好例です。
他の家紋と合成した木瓜紋
木瓜紋は単独で完結するだけでなく、他の家紋と重ねることでさらに多彩になります。
木瓜二つ引きのように引両と組み合わせると、線の方向性が加わって印象が引き締まる。
三方木瓜や四方木瓜のように複数方向へ配した例もあり、武家ごとに、どこへどの要素を置くかで独自性を競ってきたことが伝わります。
合成の発想が強いからこそ、木瓜は一族の目印として強く残ったのでしょう。
こうした派生は、単なる装飾ではなく、同じ木瓜でも「どの家の木瓜か」を見分けるための工夫だと考えると腑に落ちます。
基本形を押さえたうえで、引両が交わるのか、三方か四方か、あるいは丸や庵が重なるのかを順に見れば、紛らわしい図柄も整理できる。
家ごとに固有の木瓜紋が伝わるという事実は、次に分布を追ううえでも手がかりになるはずです。
木瓜紋を使った主な家・分布
木瓜紋は、織田氏や朝倉氏、工藤氏、滝川氏のような有力武家が用いたことで、単なる意匠ではなく家格を背負う紋として広まりました。
同じ木瓜紋でも、三つ盛りの木瓜、庵木瓜、丸に立ち木瓜のように家ごとに形を変えていたため、系譜をたどる手がかりにもなります。
分布を見れば北陸・東北に比較的多い傾向があり、神社神紋から庶民へ広がった流れも重なるため、木瓜紋は自分のルーツと結びつけて見やすい家紋だと言えるでしょう。
木瓜紋を用いた代表的な武家
木瓜紋系を用いた代表的な武家として、織田氏、越前の朝倉氏、工藤氏、滝川氏が挙げられます。
いずれも歴史上の有力家であり、木瓜紋が「名のある家だけの意匠ではないか」と感じさせるほど、紋の格を高めてきました。
しかも、ただ同じ図形を並べたのではなく、家ごとの選択がはっきり見えるのが木瓜紋のおもしろさです。
朝倉氏は三つ盛りの木瓜、工藤氏は庵木瓜、滝川氏は丸に立ち木瓜というように、同じ木瓜紋でも形に違いがあります。
ここには、種類セクションで見た「木瓜」の基本形が、実際の家紋運用では細かな差分を持って使われていた、という現実がそのまま表れています。
紋の中心にある輪郭は似ていても、重ね方や囲み方が変わるだけで印象は大きく変わるものです。
自分の家の紋を見直すときも、まず外形ではなく細部を確かめてみると、思わぬ系統の違いが見えてきます。
北陸・東北に多い分布傾向
木瓜紋は北陸・東北地方に比較的多くみられるとされています。
もちろん例外は多く、地域だけで家紋の由来を断定することはできませんが、出身地の分布と紋の傾向が重なると、家の来歴を考える入口になります。
親族の出身地が北陸・東北で、しかも家紋が木瓜紋だったと気づいたとき、地図の上で点と点がつながる感覚がありました。
そんな小さな符合こそ、ルーツ探しの手がかりになるのではないでしょうか。
分布の話で大切なのは、「多い」という傾向を、家系の断定に使わないことです。
木瓜紋は武家にも神社にも広く使われたため、同じ地域に見えても背景はさまざまである。
だからこそ、地元の寺社の紋や古い墓石、家に残る過去帳などと照らし合わせると、紋の意味が立体的になります。
おすすめです。
神社神紋を通じた庶民への広がり
木瓜紋が十大家紋に数えられるほど広まった背景には、八坂神社をはじめとする神社神紋からの浸透がありました。
武家が権威を示す紋として使い、その後に神社神紋として人々の目に触れる機会が増えると、木瓜紋は武家の記号から生活圏の記号へと広がっていきます。
神社の紋は参拝や祭礼を通じて自然に目に入るため、庶民の側にも受け入れられやすかったのでしょう。
武家、神社、庶民という三方向から広まった点に、木瓜紋の強さがあります。
縁起の良さがまずあり、神社神紋としての浸透がそれを支え、有力武家の使用が格式を与えた。
この三要素が重なったからこそ、木瓜紋は単なる一族のしるしを超え、地域や身分をまたいで残る家紋になりました。
自分の家に木瓜紋があるなら、その形がどの系統に近いのかを見比べてみてください。
新しい見え方が生まれるはずです。
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