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桐紋とは|五三桐・五七桐の意味と格式

更新: 編集部
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桐紋とは|五三桐・五七桐の意味と格式

桐紋は、桐の花序と葉を図案化した家紋で、菊紋に次ぐ第二の格式を担う紋である。中国で鳳凰が止まる瑞木とされた神聖な桐に由来し、平安時代には天皇の衣類や調度品にも用いられたため、単なる植物紋ではなく皇室の権威と結び付いた特別な紋として受け止めるのが出発点になるでしょう。

桐紋は、桐の花序と葉を図案化した家紋で、菊紋に次ぐ第二の格式を担う紋である。
中国で鳳凰が止まる瑞木とされた神聖な桐に由来し、平安時代には天皇の衣類や調度品にも用いられたため、単なる植物紋ではなく皇室の権威と結び付いた特別な紋として受け止めるのが出発点になるでしょう。

五三桐と五七桐の見分けは、花の数を数えればすぐにわかります。
五三桐は左右3つ・中央5つの花を立て、五七桐は左右5つ・中央7つを立てるので、数字がそのまま形の違いを示すのです。

しかも桐紋は、皇室の権威が下へ流れていく仕組みそのものを映しています。
後醍醐天皇から足利尊氏への下賜に始まり、功績ある臣下へ、さらに家臣へと広がっていき、皇室から五七桐を賜った家が配下に五三桐を与える階級構造まで生まれました。

豊臣秀吉の太閤桐を経て、明治以降は日本政府の紋章としても残り、500円硬貨や内閣総理大臣の演台にも意匠が見られます。
留袖や紋付で目にする五三桐が、実は中世から現代まで続く権威の記号だと知ると、街中の桐紋が少し違って見えてくるはずです。

桐紋とは|桐の花と葉を図案化した由緒ある家紋

名称 概要 成立の軸 位置づけ
桐紋 桐の花序と葉を図案化した家紋 植物紋としての意匠と、皇室文化に結び付いた権威性 菊紋に次ぐ格式を帯びた紋
基本図案 直立する3本の花序と3枚の葉 花と葉の組み合わせを簡潔に記号化 最もよく知られる桐紋の骨格
神聖性の起源 中国で鳳凰が止まる瑞木とされたこと 瑞祥思想と皇帝権威の結合 単なる植物ではない意味を与えた

桐紋は、桐の花序と葉を図案化した家紋です。
基本図案は直立する3本の花序と3枚の葉で構成され、植物紋でありながら皇室と結び付いた特別な格を持っています。
和服の家紋や戦国武将の旗で目にすると、なぜこの植物紋がそこまで重んじられるのか、少し不思議に感じるはずです。

その答えは、桐が花の形の美しさだけで評価されたのではなく、権威の記号として扱われてきた点にあります。
日本では平安時代頃から天皇の衣類や調度品に桐や鳳凰の文様が用いられ、やがて桐花紋は菊紋に次ぐ格式ある紋として位置づいていきました。
桐箪笥や嫁入り道具で桐の木そのものが特別視されてきた感覚も、ここにつながっています。

桐紋のモチーフは『桐の花序と葉』

桐紋の図柄は、桐の花序と葉を組み合わせて生まれたものです。
花序とは直立して伸びる花の集まりで、桐紋ではその形を3本立て、左右に葉を3枚添える基本構成がよく知られています。
見た目は簡潔でも、植物の生態をそのまま写すのではなく、輪郭だけを残して格調ある記号に変えている点が面白いところでしょう。
家紋はしばしば家の印ですが、桐紋はその中でも「植物であること」と「権威を帯びること」が強く重なっている紋である。

この意匠は、実用品や武具に付いてもひと目で判別しやすいことが利点でした。
複雑すぎると紋として機能しにくいのに対し、桐紋は線が少なく、遠目でも形が崩れにくい。
だからこそ、和服の家紋や戦国武将の旗、調度品の装飾に広がっていきました。
見慣れた植物モチーフが、なぜか格式の高い印へ変わる。
その変化こそ、桐紋を理解する入口になります。

鳳凰が止まる瑞木という神聖性の起源

桐が特別視された根は中国にあります。
桐は瑞木と呼ばれ、優れた皇帝が現れた時に姿を見せる伝説の鳥・鳳凰が止まる木とされました。
つまり桐は、ただの木ではなく、良い統治や聖なる権威の到来を示す存在だったのです。
ここが重要です。
植物としての桐に価値があるのではなく、そこに王権と祥瑞のイメージが重ねられたからこそ、紋章としての格が立ち上がりました。

鳳凰が止まる木という発想は、自然物を社会秩序の象徴へ変える考え方だといえます。
実際、桐は木材としても身近ですが、紋章の世界ではその実用性よりも象徴性が先に立つ。
桐箪笥に「大切なものを収める木」という印象が残るのも、この瑞木の感覚と無関係ではありません。
身近な材でありながら、手にすると少し格が違って見える。
桐紋にも同じ緊張感が宿っています。

平安時代に天皇の衣類・調度品の文様へ

日本では平安時代頃から、桐や鳳凰の文様が天皇の衣類や調度品に用いられました。
ここで桐は、植物そのものとして愛でられるよりも、宮中文化の中で権威を示す記号として受け入れられていきます。
文様は単なる飾りではなく、誰のために作られた品かを静かに告げる役割を持つものです。
桐紋が早い段階から重んじられたのは、まさにその「告げる力」が強かったからでしょう。

この段階で、桐花紋は菊紋に次ぐ格式ある紋という位置づけを得始めました。
のちに五三桐と五七桐の違い、格式の差、下賜の歴史へと話が広がっていくが、その土台はすでに平安期の宮中にあります。
桐紋の出発点は武家の意匠ではなく、皇室文化にある。
そこを押さえておくと、後の変種や受け継ぎの意味がずっと見えやすくなります。

五三桐と五七桐の違い|花の数の数え方で見分ける

五三桐と五七桐の違いは、突き詰めれば花の数だけです。
五三桐は左3つ・中央5つ・右3つの花を立てた3-5-3配置で、五七桐は左5つ・中央7つ・右5つの5-7-5配置になります。
見分けるときは左右よりも中央の花数を見るのがいちばん早く、留袖の紋や名刺、印鑑のように小さく描かれた場面でも、この数え方なら迷いにくくなります。

五三桐の数え方(3-5-3)

五三桐は、3本の直立する花序を左から3つ、中央5つ、右3つでまとめた桐紋です。
桐紋そのものが花序と葉を図案化したもので、基本図案は3本の直立する花序と3枚の葉から成りますから、五三桐はその骨格を保ちながら、中央の花をやや豊かに見せた形だと考えると覚えやすいでしょう。
左右が同数で中央が最も多いので、全体の均衡は保たれたまま、中心だけに目が集まる作りになっています。

実際に五三桐と五七桐を並べて花を数えてみると、最初に見分けがつくのは中央です。
留袖の紋や名刺、印鑑の家紋で「これは五三か五七か」と迷ったときも、左右の細部を追うより中央の花序を一つひとつ数えるほうが確実でした。
桐紋は小さく描かれるほど線が省略されがちなので、まず中心を見る。
この順番を身につけておくと、現場での判別がずっと楽になります。

五七桐の数え方(5-7-5)

五七桐は、左5つ・中央7つ・右5つの花を立てた桐紋です。
五三桐より各花序の花が2つずつ多く、図案全体に厚みが出ます。
並べて比べると、左右の差よりも中央が5か7かの違いが目に入りやすく、ここが最大の見分けポイントになるのです。
五三桐と同じく左右は同数ですが、五七桐では中央が一段と大きく見えるため、格式の高さまで視覚的に伝わります。

桐紋では花の数が多いほど格上とされ、五七桐が最高位に置かれました。
皇族や権力者など限られた者しか使えなかった背景を思うと、花数の差は単なる意匠ではなく、身分秩序そのものを示す記号だったわけです。
五七桐を見たら、まず中央7つ、左右5つ。
数字の差がそのまま意味の差になるので、ここを押さえれば混同しません。

名称の数字が意味するもの

五三桐と五七桐の名称は、左右と中央の花の数にそのまま由来します。
五三は「中央5、左右3」、五七は「中央7、左右5」を表しており、名前を覚えれば図案を逆算できる仕組みです。
桐紋のように似た意匠が多い家紋では、名称がそのまま判別の手がかりになるのがありがたいところでしょう。

実物を見分ける場面では、この数字の意味を先に思い出すのがおすすめです。
五三桐なら3-5-3、五七桐なら5-7-5、と頭の中で並べてしまえば、細部の線が崩れていても判断しやすくなります。
桐紋は豊臣秀吉の太閤桐としても知られ、さらに五七桐は明治以降に日本政府の紋章として使われました。
公的な場面で目にする機会があるからこそ、数字で読める見分け方を持っておくと役に立ちます。

桐紋の格式|菊紋に次ぐ第二の紋

桐紋は、菊紋に次ぐ第二の格式を担う紋として扱われてきました。
天皇家の紋章体系では、菊紋が正紋、桐紋が副紋という二紋体制が前提にあり、この関係を押さえると、桐紋が単なる装飾ではなく権威の配置を示す記号だったことが見えてきます。
しかも桐紋は、菊紋とは違って臣下に下賜できる点に特色がありました。

菊紋=正紋・桐紋=副紋という関係

菊紋が天皇家の正式な紋であるのに対し、桐紋はそれに次ぐ第二の紋として置かれました。
この二紋体制は、皇室の中心に菊紋を据えつつ、桐紋で周辺の権威を支える構図だと考えるとわかりやすいです。
皇室と政府の関係にたとえるなら、菊紋が象徴の中枢で、桐紋は実務や統治の側に広がる役割を担う存在でした。
桐紋が特別なのは、天皇家に属する紋でありながら、功績のあった臣下へ褒賞として与えられた点にあります。
ここで桐紋は、単に「持つ」ものではなく、「授ける」ことで権威を移す装置になる。
だからこそ、桐紋は菊紋の下位にありながら、政治的には強い意味を持ちました。

花の数が多いほど格上というルール

桐紋の格式を決めるうえで軸になるのが、花の数が多いほど格上になるというルールです。
桐花紋は菊紋に次ぐ第二の格式を持つ紋とされ、その内部でも五七桐が五三桐より上位に位置づけられました。
見た目の差は小さくても、紋章学ではその差が身分や許可範囲の差に直結します。
この仕組みを知ると、格式ある紋を「美しい意匠」としてだけ眺める見方は変わります。
五七桐は皇族や権力者など限られた者しか使用を許されなかったため、誰でも使える紋ではありませんでした。
格の上下が花の数で表現されるのは直感的で、同時に厳格でもある。
そこに桐紋の面白さがあります。

五七桐が最高位とされる理由

五七桐が最も権威が高いとされるのは、桐紋の中でも使用者がきわめて限定され、象徴性が強く濃縮されているからです。
花の数が多いほど格上という原則に照らせば、五七桐は五三桐より明確に上位で、特別な資格を示す紋として扱われました。
紋そのものが「ここまでが許される」という境界線になっていたわけです。
この格式の構造は、後の下賜の歴史にもつながります。
五七を賜った家が家臣には五三を与えるという流れは、上位の紋を受けた側が、その下にさらに秩序を作る仕組みです。
桐紋の世界では、花の数という物理的な差がそのまま権威の差になる。
なるほど、と頷きたくなるほど明快なルールでしょう。

桐紋を下賜された歴史|天皇から武家へ

桐紋が皇室の外へ広がる起点は中世にある。
鎌倉時代末までには皇室の紋として用いられていたと考えられ、後醍醐天皇が足利尊氏へ桐紋を下賜した記録は、その象徴が武家へ移る決定的な場面になった。
勲功第一とされた尊氏に与えられたことで、桐紋は単なる意匠ではなく、政治的な恩賞としても機能し始めるのである。

後醍醐天皇から足利尊氏への下賜

後醍醐天皇が足利尊氏へ桐紋を下賜したのは、鎌倉幕府打倒の勲功第一として扱われたからだと記録される。
皇室の紋を武家に与える行為は、権威の中心にあるものを外へ移す強い意味を持つ。
尊氏が受け取った桐紋は、武功への報償であると同時に、朝廷が武家を認可するしるしでもあった。

鎌倉時代末までに桐紋が皇室の紋として確立していたからこそ、この下賜には重みが生まれた。
複数の臣下に同じ紋が与えられていた事実も、その普及を裏づける。
桐紋はここで初めて、宮中の格式を背負ったまま武家社会へ入り込んだ。

下賜が下賜を生む拡散構造

桐紋の広がり方は、上から下へ権威が流れる仕組みそのものです。
後醍醐天皇から尊氏へ、さらに尊氏から家臣へと下賜が連なり、各地に同じ紋が広がっていった。
名門ブランドのライセンス展開にたとえると腑に落ちるが、実際にはもっと硬い。
紋を持つこと自体が、出世と栄誉を示す公的な証明になったからだ。

この連鎖が重要なのは、桐紋が単に「珍しい紋」だから広まったのではない点にある。
与える側に権威があり、受け取る側に功績がある。
その関係が重なることで、桐紋は全国へ拡散していった。
武家にとっては家の格式を示す記号であり、同時に新たな主従秩序を可視化する道具でもあったのである。

五七から五三へという階級的な使い分け

ここでは花の数そのものが身分差を表す。
皇室から直接五七桐を賜った家が、その家臣には一段下の五三桐を与えるケースが多く、同じ桐でも格の違いがはっきり刻まれていた。
五七桐は本筋の権威を示し、五三桐はその配下にあることを示す。
見た目は似ていても、受け取った経路がまったく違うわけです。

この階級的な使い分けは、紋章が単なる装飾ではないことを教えてくれる。
花の数の差は、家同士の上下関係を静かに固定する装置だった。
南北朝で後醍醐天皇と足利尊氏が対立しても、尊氏が桐紋を返上しなかったという逸話には、紋章が家のアイデンティティとしてどれほど重かったかがにじむ。
細部には諸説あるが、流れとしてはここが核心である。

豊臣秀吉と太閤桐|武将の桐紋

豊臣秀吉は、桐紋を武将の権威を示す記号として最も強く印象づけた人物です。
低い身分から天下人へ上り詰めた秀吉にとって、朝廷から賜った桐紋は出自の弱さを補い、正統性を目に見える形に変える装置でした。
大河ドラマや美術館の陣羽織で太閤桐や五七鬼桐を見ると、その紋が単なる飾りではなく、権力そのものを着せる意匠だったことがよくわかります。

秀吉が賜った桐紋と権威誇示

秀吉が桐紋を得た意味は、単に美しい家紋を使えたという話ではありません。
朝廷から賜った桐紋は、武力でのし上がった人物に公的なお墨付きを与えるもので、戦国武将にとってこれほど強い権威付けはありませんでした。
出自を補うために権威ある紋を前面に出す姿勢は、現代でいえばブランドのロゴを大きく掲げて信用を獲得する感覚に近いでしょう。
だからこそ、秀吉の桐紋使用は、権力の見せ方そのものを変えた事例として読めるのです。

太閤桐という独自ブランド

秀吉が使った五七桐・五三桐の総称が太閤桐です。
ここで注目したいのは、秀吉が桐紋を借り物の権威のまま置かなかった点で、複数のデザインを使い分けながら、自分の政治的な顔つきに合わせて展開したことにあります。
太閤桐は単なる一種の紋ではなく、秀吉の存在感を支える視覚戦略でした。
美術館で陣羽織を見比べると、同じ桐でも配置や密度が異なり、同じ家紋がここまで印象を変えるのかと驚かされます。
ポイントは、権威を受け取るだけで終わらず、自家の象徴へ作り変えたことです。

名称構成性格秀吉との関係
五七桐桐の意匠を五七の配置で示す代表的な形式太閤桐の中核
五三桐桐の意匠を五三の配置で示す変化形の一つ太閤桐に含まれる
太閤桐五七桐・五三桐の総称秀吉使用の総体独自ブランドとして機能

五七鬼桐などの変種

五七鬼桐は五七桐の変化形で、桐の葉と花の形が尖っているのが特徴です。
柔らかな草花文に見える桐紋が、ここでは鋭さを帯び、秀吉ゆかりの陣羽織などで力強い印象を放ちます。
紋章は一定の型を守るだけでなく、微妙な変種によって人物像を語ることがあり、五七鬼桐はその典型でしょう。
やわらかい植物意匠を、あえて尖らせる。
その差だけで、天下人の緊張感が立ち上がります。

秀吉の事例は、紋章による自己演出の好例です。
桐紋を多用し、さらに改変して権威を可視化した手法は、現代のロゴやブランディングにも通じます。
出自にコンプレックスを持つ人物が、権威ある紋を全面に出して自分を押し上げる心理は、時代が変わっても不思議ではないでしょう。
秀吉の太閤桐は、その心理を最も鮮やかに見せる象徴なのです。

桐紋の種類とデザイン変種

桐紋は五三桐・五七桐だけで覚えると、実物を見たときにかえって迷いやすい紋です。
外形、意匠、花の数という3つの軸で眺めると、丸に五三桐のような囲みの違いから、桐車・光琳桐・文晁桐のような造形差、九七桐のような数の変化まで、整理の順番がはっきりしてきます。
家紋帳や紋帖を繰ると変種の多さに驚きますが、その驚き自体が、桐紋を図鑑として読む意味を示しているのだと思います。

外形のバリエーション(丸囲みなど)

桐紋の見分けでまず効いてくるのは、紋の外形です。
丸で囲んだ丸に五三桐は代表例で、同じ五三桐でも丸なしと比べると、締まった印象と収まりのよさが前に出ます。
家紋全般に共通する、囲みや枠の有無で用途と見た目が変わるというルールが、桐紋ではとてもわかりやすく表れているのです。
丸が入るだけで、単なる植物文様ではなく、紋としての格と配置の意識が強くなります。

実際に家紋帳や紋帖で桐紋のページを追うと、同じ五三桐でも外周の処理だけで雰囲気が変わる場面に何度も出会います。
丸ありは図版としてのまとまりがよく、印章や装飾の中でも輪郭が拾いやすい。
丸なしは枝葉の伸びや花の並びがそのまま見え、意匠そのものを前面に出しやすい。
ここを見分けられると、街角の意匠や器物の紋章を前にしたとき、まず外形から候補を絞れるようになります。

見え方代表例印象判別の要点
囲みあり丸に五三桐まとまりがある外周の円が先に目に入る
囲みなし五三桐伸びやかで素直桐の骨格がそのまま出る

意匠の変種(桐車・光琳桐・文晁桐)

桐紋の幅をいちばん実感しやすいのは、葉と花の組み合わせ方を変えた意匠の変種です。
桐車・光琳桐・文晁桐は、その代表といえます。
桐車は車輪状に配したもので、放射性のリズムが強く、静かな植物紋というより構成美を見せる図案になります。
光琳桐は尾形光琳風の意匠として知られ、流れるような曲線の処理に美意識が宿る。
文晁桐もまた、名で呼ばれることで、単なる桐の写生ではなく、様式として洗練された変化形だとわかるのです。

この「名の付き方」も見逃せません。
桐紋の変種には、植物の形そのものだけでなく、デザイナーや様式の記憶が重なっています。
家紋帳や紋帖を見比べると、葉の開き方、花の位置、枝の見せ方が少しずつ違い、同じ桐でも硬質にも、優美にも、装飾的にも見えるでしょう。
図鑑として整理すると、何を基準に似ていて何が違うのかが見え、紋の特定がずっとやりやすくなります。

変種名形の特徴名前の由来の読み取り方見分けの着眼点
桐車車輪状の配置配列の機能が名に出る回転感のある並び
光琳桐光琳風の意匠様式名が前面に出る曲線の洗練
文晁桐文晁系の意匠作風・系譜が名に出る造形の整え方

花の数の珍しい変種

桐紋は、花の数でも細かく展開します。
一般的な五三・五七に加え、五五や九七といった組み合わせも見られ、花数=格という原則が単純な二択ではないことがはっきりします。
九七桐のような数の変化は、ぱっと見では同系統に見えても、数を数えれば別物だとわかるため、図鑑的な整理がとても役立つ部分です。
葉と花の組み合わせの多様性もここに含まれ、同じ桐でも「何を強調するか」で印象が変わります。

珍しい数の変種に目を向けると、桐紋が単なる定型の繰り返しではないと理解できます。
五三や五七を基準にしながら、五五や九七がそこから派生していると見ると、数のわずかな違いが紋の意味をどうずらすかが読みやすくなる。
街や美術品で桐紋を見かけたとき、まず花の数を数えてみるとよいでしょう。
そこから外形、意匠へと視線を移せば、自分の家紋や作品の紋を特定する手がかりになるはずです。
おすすめです。

現代に残る桐紋|政府・500円硬貨・パスポート

桐紋は中世で役目を終えた紋ではなく、明治時代以降も日本政府の紋章として使われ続けています。
皇室の菊紋と並び立つかたちで公的な場に残り、今でも「権威を表す印」として機能しているのが特徴です。
身近な硬貨やニュース映像、旅券の細部を見ていくと、その連続性がはっきり見えてきます。

日本政府の紋章としての五七桐

五七桐は、明治時代以降に日本政府の紋章として用いられるようになりました。
皇室を示す菊紋と役割を分けながら、公的な場面で国を表す印として定着したのです。
桐紋が武家の栄達を示す記号だっただけでなく、近代国家の制度の中でも生き残ったことに、この紋の強さがあります。

内閣総理大臣の演台に取り付けられるプレートにも五七桐が使われています。
首相会見の映像で何度も見ているあの紋が、実は秀吉以来の桐紋につながると気づくと、ニュースの見え方が少し変わるでしょう。
公的な場の細部にまで同じ意匠が続いているのは偶然ではありません。

500円硬貨にあしらわれた桐

最も身近なのは500円硬貨です。
1982年(昭和57年)以降の500円硬貨には桐の意匠があしらわれ、財布の中の硬貨と豊臣秀吉の桐紋がつながっていることを実感できます。
実際に500円玉を手に取り、図案の桐を探してみると、歴史が博物館の中だけの話ではないとわかります。

こうした意匠は、単なる飾りではありません。
日常で何度も触れる貨幣に桐を載せることで、国家の記号が暮らしの中へ静かに入り込んでいるのです。
小さな硬貨なのに、見つけると妙にうれしい。
そんな発見をくれるのが500円硬貨です。

パスポートと桐紋の歴史

パスポートにも桐紋の変遷があります。
1938年には旅券内ページの紋章が菊紋から五七桐へ改められ、表紙には国の象徴として十六弁の菊花紋章が用いられてきました。
菊と桐が、それぞれ異なる役割を担いながら旅券の中で共存してきたわけです。

さらに、法務省は2018年2月21日から、出入国時に旅券へ押す証印シールの図案を桐から富士山と桜へ変更しました。
細部の意匠まで更新されるところに、旅券がいまの日本を映す道具であることが表れています。
桐紋は固定された古い模様ではなく、制度の中で使い分けられ、組み替えられながら残ってきた紋章なのです。

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