最新記事
竹中半兵衛の家紋|九枚笹と黒餅の由来
竹中半兵衛の家紋|九枚笹と黒餅の由来
竹中半兵衛(本名・竹中重治、1544〜1579)は、美濃国大御堂に生まれ、斎藤龍興の稲葉山城を少ない手勢で奪ったのち半年ほどで返したという逸話で知られる美濃の智将です。後に羽柴秀吉の軍師として黒田官兵衛と並び称されたこの人物は、岐阜県垂井町や大野町のゆかりの地でも、静かな存在感を今に残しています。
島左近の家紋|丸に三つ柏の由来と意味
島左近の家紋|丸に三つ柏の由来と意味
島左近の家紋は、丸に三つ柏として知られる柏紋で、柏の葉を三枚扇状に並べて外周を丸で囲んだ植物紋です。大河ドラマや戦国ゲームで甲冑姿に目を引かれ、その背にある柏の意匠をたどると、葉が落ちにくい生態が世代や家督が途切れない吉祥へ結びついた理由まで見えてきます。
小西行長の家紋・中結祇園守|由来と意味
小西行長の家紋・中結祇園守|由来と意味
小西行長の家紋「中結祇園守」は、京都・八坂神社が授与した筒状の護符「祇園守」を図案化した器物紋である。2本の守りが中央で十字に交差し、下部に粽を思わせる意匠が広がるが、起源は十字架ではなく、疫病や災難を退ける家の守りにある。
北条氏康の家紋|三つ鱗の意味と由来
北条氏康の家紋|三つ鱗の意味と由来
北条氏康は1515年生まれの後北条氏3代目当主で、父・氏綱から家紋三つ鱗を受け継いだ人物です。この紋は氏康だけの発明ではなく、一族の継承紋として用いられてきました。小田原城や江島神社でその三角形3つの意匠を見ると、ひと目では単純でも、背後には600年以上さかのぼる伝承が重なっているとわかります。
榊原康政の家紋|榊原源氏車の意味と由来
榊原康政の家紋|榊原源氏車の意味と由来
榊原康政の家紋榊原源氏車は、平安貴族の牛車の車輪を真上から見て文様化した車紋で、十二本骨の車輪を放射状に配した図柄として覚えると姿がつかみやすいです。車輪の骨数で呼び名が変わり、八本なら八本骨車、十二本なら十二本骨源氏車となるため、榊原家の紋がどの系統に属するかも自然に見えてきます。
大谷吉継の家紋『対い蝶』と『鷹の羽』の由来
大谷吉継の家紋『対い蝶』と『鷹の羽』の由来
大谷吉継は、越前敦賀城主として知られる戦国武将であり、従五位下・刑部少輔に叙されたことから「大谷刑部」と呼ばれた人物です。家紋は対い蝶と違い鷹の羽の二つが伝わり、どちらか一方ではなく、時期や場面で使い分けられたと見ると全体像がすっきりします。
池田輝政の家紋|揚羽蝶と備前蝶の由来
池田輝政の家紋|揚羽蝶と備前蝶の由来
池田輝政は、1564年生まれの戦国〜江戸初期の大名で、姫路城を現在の姿へ大改修し「西国将軍」と呼ばれた人物です。姫路城を歩くと天守や瓦のあちこちに池田家ゆかりの紋を探したくなりますが、輝政の家紋には揚羽蝶と備前蝶の2系統があり、まずその違いを押さえるだけで見え方が変わります。
丹羽長秀の家紋・直違紋の由来と意味
丹羽長秀の家紋・直違紋の由来と意味
丹羽長秀の家紋は直違(すじかい)で、二本の斜め線が交差する✕字の紋として知られます。織田信長の重臣として安土城築城を仕切った丹羽長秀に結びつくこの意匠は、家紋を調べ始めたときに「これも家紋なのか」と戸惑うほど単純ですが、その見え方こそが出発点になります。
本多忠勝の家紋「本多立ち葵」由来と意味
本多忠勝の家紋「本多立ち葵」由来と意味
本多忠勝の家紋は本多立ち葵で、丸で囲った定紋は丸に立ち葵と呼ばれます。三枚の葉を一本の木のように立たせ、右の葉を軸から少し離して描く意匠で、徳川の三つ葉葵と見分けるには葉の下に茎が立つかどうかを見ればよいです。
井伊直政の家紋「彦根橘」と井桁紋の由来
井伊直政の家紋「彦根橘」と井桁紋の由来
井伊直政は、1561年生まれの徳川四天王の一人で、「井伊の赤鬼」と恐れられた武将です。大河ドラマおんな城主 直虎やどうする家康で井伊家の赤備えと家紋を見て、橘と井桁のどちらが本当なのか気になった人も多いでしょう。
宇喜多秀家の家紋|剣片喰と児文字の由来
宇喜多秀家の家紋|剣片喰と児文字の由来
宇喜多秀家の家紋は、剣片喰、児文字、五七桐の三系統に分けて考えるとすっきり理解できます。宇喜多氏の正式な定紋は剣片喰で、児文字は戦場で使う旗印、五七桐は豊臣秀吉から下賜された紋だと整理すると、「結局どれが家紋なのか」という疑問にまず答えが出ます。
山内一豊の家紋|土佐柏と複数の紋の由来
山内一豊の家紋|土佐柏と複数の紋の由来
山内一豊の家紋は、代表紋として丸に三葉柏、通称土佐柏が知られている。細く描いた三つ柏を丸で囲む植物紋で、天文14年(1545年)に尾張で生まれ、慶長10年(1605年)に没した土佐藩初代藩主・山内一豊の人物像とあわせて押さえると、なぜこの意匠が語り継がれるのかが見えてきます。