日本の家紋

本田さんの家紋|立ち葵の由来と本多との関係

更新: 編集部
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本田さんの家紋|立ち葵の由来と本多との関係

本田・本多姓の代表紋は立ち葵で、家紋を探すときに墓石や仏壇で「丸に立ち葵」らしき意匠を見つける場面は少なくありません。立ち葵は賀茂神社の二葉葵を図案化した葵紋の一系統で、名前だけを見るとタチアオイの花を連想しがちですが、実際には別物です。

本田・本多姓の代表紋は立ち葵で、家紋を探すときに墓石や仏壇で「丸に立ち葵」らしき意匠を見つける場面は少なくありません。
立ち葵は賀茂神社の二葉葵を図案化した葵紋の一系統で、名前だけを見るとタチアオイの花を連想しがちですが、実際には別物です。
本田姓は全国に約16万人、苗字ランキングでも132番目ほどの規模があり、見慣れた姓の中にも由緒ある紋が潜んでいるとわかります。
しかも、立ち葵の由来は祖先が賀茂神社の神官や氏子だったことにあると伝わり、『本多家譜』にはその家伝も残ります。

本田さんの代表的な家紋は「立ち葵」

項目 内容
本田さんの代表的な家紋 立ち葵
系統 葵紋
図案の元 賀茂神社の二葉葵(フタバアオイ)
本田姓の規模感 全国で約16万人、苗字ランキングで約132番目
読み ほんだ、もとだ

本田さんの代表的な家紋は立ち葵で、賀茂神社の二葉葵(フタバアオイ)を図案化した葵紋の一系統に属します。
名前だけ見ると植物のタチアオイを思い浮かべやすいのですが、紋の由来はそちらではなくフタバアオイです。
親戚の法事で配られた会葬礼状や墓石を見て、そこで初めて「これがうちの紋か」と気づく人も少なくありません。

結論:本田を代表する家紋は立ち葵

本田・本多姓を代表する家紋は立ち葵で、家の由緒を示す紋として伝えられてきました。
とくに本田姓では、徳川家と同じ三つ葉葵だと思い込んでいたのに、実際には茎のある立ち葵だったと知って驚く例が目立ちます。
見た目は似ていても、図案の立ち上がり方が違うだけで印象はかなり変わるのです。

本多忠勝の表紋が丸に立ち葵で、替紋に本多一本杉や丸に本文字を用いたことからも、この家にとって葵の意匠が強い意味を持っていたことがわかります。
立ち葵は本田・本多の目印であると同時に、家の来歴を語る記号でもあるでしょう。

立ち葵は『葵紋』の一種

立ち葵は、賀茂神社の神紋である二葉葵を元にした葵紋の一系統です。
三つ葉葵との違いは、葉の構成だけではありません。
三つ葉葵は葉を三方に配した図案で、立ち葵はそこに茎が立ち上がるため、同じ葵系でも輪郭に少し硬さと伸びが出ます。

本田家の祖先が賀茂神社の神官であったことに由来して家紋に採り入れた、という家伝『本多家譜』の記載は、その背景を理解するうえで大きいです。
三河には京都・賀茂神社の神領があり氏子も多かったため、本多氏や松平氏など同地の武家へ葵紋が広がりました。
つまり立ち葵は、単なる意匠ではなく、信仰圏と武家社会が重なった土地の記憶を背負っているわけです。

ℹ️ Note

立ち葵の由来を考えるなら、徳川の三つ葉葵との見分け方を押さえておくと整理しやすいです。共通点は二葉葵を源流に持つ点で、違いは図案化の方向にあります。

ただし、立ち葵の名前から梅雨に咲く植物タチアオイを連想するのは自然でも、図案の元はフタバアオイであり、植物のタチアオイとは無関係です。
この誤解はかなり多いので、最初に切り分けておくと迷いません。
似た名前に引っ張られず、葵紋の系譜として見るのが大切です。

本田姓はどれくらいいる苗字か

本田姓は全国で約16万人、名字ランキングで約132番目に多い苗字です。
東北南部〜北陸と九州、特に長崎〜熊本に多く分布しているため、姓の規模感を知ると「うちもその系統かもしれない」と感じやすくなります。
読みは『ほんだ』だけでなく『もとだ』もあるので、墓石や過去帳で確認するときは表記だけで決めつけないほうがよいでしょう。

本田姓が比較的広く分布しているのは、ひとつの本家から単純に連続しているからではなく、分家や養子縁組を通じて広がった面があるからです。
本田と本多はもともと一つの家系と伝わり、立ち葵を共通の紋としてきましたが、本田姓=必ず立ち葵とは限りません。
代表紋としては立ち葵が知られていても、別紋の家もあるため、次の調べ方で個別に確かめていく流れになります。

立ち葵の由来|賀茂神社の神官に始まる紋

立ち葵は、本田・本多の家紋として、賀茂神社の神紋である二葉葵(賀茂葵・フタバアオイ)を受け継いだ図案です。
由来をたどると、祖先が賀茂神社の神官(氏子)であったことが出発点にあり、家の紋は信仰と地縁の記憶を背負っていることがわかります。
『本多家譜』にも、祖先が賀茂神社職であったため立葵を家紋に用いたと記され、伝承だけでなく家伝として筋が通っているのが特徴です。

賀茂神社の神紋・二葉葵とのつながり

上賀茂神社と下鴨神社の社殿や授与品には、二葉葵があしらわれています。
参拝してその意匠を見たとき、本田・本多の立ち葵と共通する輪郭がすぐに浮かびました。
賀茂神社(上賀茂・下鴨)の神紋が二葉葵である以上、立ち葵はそこから派生した葵紋の一系統だと考えるのが自然です。

二葉葵は本来、2枚の葉を持つ植物フタバアオイを図案化したものです。
ここから家紋へ移す際に、葉を縦に立て、茎を添えた形にしたものが立ち葵になります。
名前だけを見ると梅雨の花として知られるタチアオイを連想しがちですが、図案の元はフタバアオイであり、植物のタチアオイとは無関係です。

神官の家系から家紋へ

本田・本多姓の由来を調べていると、なぜ農家の家系なのに神社ゆかりの葵なのか、という疑問に行き当たります。
そこから『本多家譜』の記述にたどり着くと、祖先が賀茂神社職で、立葵を家紋にしたという流れが見えてきます。
つまり、家紋は土地の職能や信仰から切り離された装飾ではなく、家の成り立ちそのものを映す印なのです。

この由来が強いのは、俗説ではなく家伝に明記されている点にあります。
『本多家譜』は、祖先が賀茂神社の神官(氏子)であったため立葵を用いたと伝え、本多家の紋が神社との結びつきから生まれたことを裏づけます。
三河地方に京都・賀茂神社の神領があり氏子が多かったことも踏まえると、本多氏や松平氏などに葵紋が広がった背景は見通しやすいでしょう。

ℹ️ Note

賀茂神社との関係を押さえると、立ち葵は単なる家紋ではなく、神社の神紋を家へ移し替えた図案だと理解しやすくなります。

立ち葵という図案の特徴

立ち葵を見分けるときの要点は、葉の配置だけではありません。
二葉葵を立てた形に加えて、葉の下に茎が立ち上がる表現が入ることで、三つ葉葵と区別しやすくなります。
三つ葉葵は葉を三方に配した意匠ですが、立ち葵は縦方向の勢いがあり、図案全体に「立つ」印象が生まれます。

この違いは、同じ葵紋でも系統が分かれることを示しています。
三つ葉葵はフタバアオイの葉を3枚描いた理想化された意匠とされ、本多側には徳川葵より古い由緒を持つという伝承も残ります。
本多忠勝の表紋が丸に立ち葵で、替紋に本多一本杉・丸に本文字を用いたことも、家ごとの紋の使い分けを考える手がかりになります。
三河から広がった葵紋の地図を思い描くと、立ち葵の輪郭がいっそう鮮明になるはずです。

本田と本多は同じ家系?両表記の関係

本田と本多は、もともと同じ系統として扱われ、家紋も立葵で共通すると伝わります。
戸籍や除籍謄本をたどると同じ家の中に『本田』と『本多』が混在していることがあり、親戚に「うちは本多なのか本田なのか」と尋ねても世代ごとに答えが食い違うことがあります。
表記の違いだけで別家とみなすと、ルーツのつながりを見落としやすいのです。

本田と本多はもともと同じ

本田と本多は、現在は別表記として見えるものの、もとは一つの家筋だったと整理できます。
家紋が立葵で共通するという伝承も、その連続性を示す手がかりです。
表記が分かれた後も、系譜の見方としては同系統の分枝として押さえるのが自然でしょう。

この違いは、名字の「字面」だけでは家の実態を判断できないことを教えてくれます。
同じ家でも、役所への届出や時代ごとの書き方の揺れで『本田』『本多』が並存することがあるためです。
調査の途中で混在に気づいたとき、名字の表面よりも家の連続性を見る必要があると実感しました。

本多氏が自称する藤原氏系の出自

本多氏の家伝では、太政大臣・藤原兼通の子孫である秀豊が、豊後(大分県)日高郡本多郷を領したことから本多を称したとされます。
つまり、本多という名字は地名由来と藤原氏系の系譜意識をあわせ持つかたちで語られてきたわけです。
家名の由来を地名に求めつつ、あわせて公家の流れを掲げるのは、武家の家格を整えるうえでよく見られる構図だといえます。

この伝承があるからこそ、本多氏の名乗りは単なる表記の問題ではなく、家の正統性をどう説明するかという問題にもつながります。
自称の系譜は、家の内部で受け継がれる記憶としては強い意味を持つものの、史実としてはそのまま採用できない場面もあるのです。
そこを分けて読む姿勢が欠かせません。

出自は不詳とされる点に注意

ただし、本多氏の実際の出自は不詳とされ、系譜は明確ではありません。
藤原兼通の子孫である秀豊にさかのぼる家伝は紹介できても、それをそのまま歴史的事実として断定するのは避けるべきです。
家伝は家の語りであり、史実は別に検証されるべきものだ、という線引きが必要になります。

本多氏は後に本多平八郎(忠勝)系・本多正信系・膳所系などに分かれて全国へ広がりました。
分岐が進むと、同じ本多でも家ごとに替紋が異なる場合が出てきます。
この多系統化こそが、同じ名字なのに由来や家風が一様でない理由です。
親戚同士でも「本田」と「本多」の記憶がずれることがあるのは、表記が別れた後にそれぞれの枝が独自に伝承を重ねてきたからではないだろうか。

徳川家の三つ葉葵との違いと関係

立ち葵と三つ葉葵は、どちらも葵紋として並べて語られますが、見分ける軸ははっきりしています。
三つ葉葵は葉だけを三方に配した図案で、立ち葵はその下に茎(幹)が立ち上がる構図です。
日光東照宮や時代劇で見慣れた三つ葉葵と見比べると、似ているのに印象が違う理由が、意外なほどすぐに腑に落ちます。

デザインの違い:茎の有無と葉の向き

立ち葵と三つ葉葵の差は、まず茎の有無にあります。
三つ葉葵は葉のみを三方に広げた意匠で、輪郭は整っていても植物の地上部をそのまま写したものではありません。
対して立ち葵は、葉の下から茎がすっと立ち上がるため、全体の重心が下に寄り、図案に「立つ」感じが生まれます。
画像を並べて見ると、最初に気づくのはたいていこの一点です。

この違いは、見分けやすさだけでなく、図案としての性格にも関わります。
三つ葉葵はフタバアオイの葉を3枚描いた形ですが、フタバアオイは通常2枚葉で、3葉は稀ですから、三つ葉葵は実在の植物をそのまま写したというより、理想化された意匠だと考えるほうが自然です。
立ち葵のほうが植物の姿に近く、同じ葵を名乗っていても、写実性の置き方が異なるわけです。

ℹ️ Note

日光東照宮の三つ葉葵を見慣れていると、立ち葵は最初かなり近く見えます。けれど、茎の有無を押さえるだけで区別は安定し、紋章を読む目が一段はっきりします。

由来の違い:どちらも二葉葵が源流

立ち葵と三つ葉葵は、別系統のまったく無関係な紋ではありません。
どちらも賀茂神社の二葉葵を源流とする同根の葵紋で、三河の賀茂神社の氏子だった武家たちが共有してきた図案の発展形として見るのが筋です。
つまり、両者は対立する二択ではなく、同じ根から枝分かれした親戚のような関係にあります。

ここを押さえると、なぜ形が似ているのかが説明できます。
二葉葵を起点にした葵紋は、信仰と家の威信が重なって広がったため、単なる植物図鑑の写生ではなく、由緒を背負う記号として磨かれてきました。
だからこそ、葉の数や茎の有無が少し違うだけでも、そこに家ごとの選択や立場の違いがにじみます。

本多紋を徳川が受け継いだ伝承

本多氏の紋を徳川(松平)が譲り受けた、あるいは交換したという伝承も、立ち葵と三つ葉葵の関係を考えるうえで外せません。
伝承のかたちではありますが、立ち葵は徳川葵より古い由緒を持つと本多側に伝わっており、本多本家が立ち葵を代々用いたとされます。
こうした話は、単にどちらが先かを競うためではなく、家紋が武家のあいだで受け継がれ、意味を変えながら定着したことを示しています。

この伝承を踏まえると、立ち葵は「徳川葵の近縁」ではなく、むしろ葵紋の歴史を共有しつつ独自の家筋を保った紋として見えてきます。
見た目は近くても、家に結びついた由緒は同じではありません。
日光東照宮で目にする三つ葉葵と、本多家に伝わる立ち葵を見比べると、そこには「似て非なるもの」という感覚がはっきり残るでしょう。

本多忠勝が用いた家紋いろいろ

本多忠勝は徳川四天王・徳川三傑の一人として知られ、徳川家康を支えた本多一族の代表格です。
立ち葵を掲げる家として語られがちですが、実際には表紋と替紋を使い分けており、その運用の幅に武家の作法がよく表れています。
三重・桑名の本多忠勝ゆかりの地や甲冑展示で立ち葵の旗指物を目にすると、紋が単なる装飾ではなく、家の存在を前面に押し出す標識だったことが腑に落ちます。

本多忠勝とはどんな武将か

本多忠勝は、戦場で名を立てた武将であると同時に、家の紋を通じて本多一族の顔を担った人物です。
徳川四天王・徳川三傑に数えられる重臣という位置づけは、忠勝が単独の武功だけでなく、家康政権の中核を支えた存在だったことを示しています。
だからこそ、忠勝に結びつく家紋を見るときは、個人の好みではなく、一門の格式と役割を映す記号として捉えるのが自然でしょう。

三重・桑名の本多忠勝ゆかりの地や甲冑展示で立ち葵の旗指物を実際に見ると、紋の印象は図版で受けるものよりずっと強い。
白地に伸びる葵の線は遠目にも判別しやすく、集団の中で本多家を見分けるための実用品だったはずだと感じます。
武家の家紋は、家格の説明文である前に、戦場と儀礼の両方で効く視覚的な印だったのです。

表紋・丸に立ち葵

忠勝の表紋は『丸に立ち葵』です。
丸で囲んだ立ち葵が本多本家筋を象徴する正式な紋として用いられ、ひと目で本多忠勝の系譜を示す印になっていました。
葵紋は徳川家と連想されやすいものの、本多家ではその形を自家の表紋として整え、家の正面に据えたところに意味があります。

丸にすることで輪郭が締まり、旗や甲冑の装飾としても映えやすくなる。
単純な図案に見えて、実際には遠視性と家格表示の両方を満たす設計である。
こうした表紋は「この家を代表する一つの顔」に当たり、後で見る替紋との差がはっきりするほど、武家の紋運用の奥行きが見えてきます。

ℹ️ Note

表紋は家の正面を示す紋であり、替紋は場面や用途に応じて補助的に使う紋です。ここを分けて見ると、同じ家でも紋が一種類に固定されない理由が理解しやすくなります。

替紋・一本杉と本文字

替紋として忠勝は『本多一本杉』と『丸に本文字』を併用しました。
丸に本文字は本多の『本』の一字を図案化したもので、葵紋以外の選択肢があったことを示しています。
ここが面白いのは、表紋が家の象徴として立ち葵を担いながら、別の場面では文字紋が同居していた点でしょう。

丸に本文字を初めて知ったとき、本多家の紋は葵紋一辺倒だと思い込んでいた感覚がほどけました。
家紋は一つに決めつけるものではなく、表紋と替紋の組み合わせで見るほうが実像に近い。
本多・本田家でも立ち葵以外の紋を持つ家があり得ると考えると、家ごとの選択の幅が見えてきます。
武家の紋は単線ではない、ということです。

自分の家の家紋を調べる方法

まずは家族や親戚、特に本家に直接聞くのが出発点です。
本家に特別な変更がなければ、本家の家紋がそのまま自分の家の家紋になるのが基本で、ここを押さえるだけで調査の回り道をかなり減らせます。
聞き取りで手がかりが出ない場合でも、墓石、仏壇、紋付の着物や羽織、袱紗、過去帳まで順に見ていけば、紋の形が少しずつつながっていくでしょう。

まず家族・本家に聞く

家紋を調べるいちばん手堅い入口は、家に残る記憶です。
親、祖父母、叔父叔母、本家の人に確認すると、紋の名前そのものを知らなくても「昔から同じだった」「分家してから変わった」といった経緯が聞けることがあります。
家紋は装飾ではなく家の記号なので、代々の婚礼や法事、墓の建立、仏壇の入れ替えの記憶に結びついていることが多いのです。
本家の家紋が基本になるのは、分家で大きな事情がなければ系統が引き継がれるからです。
実家で墓石を確かめたとき、苔と風化で紋が読みにくく、手元の明かりを斜めから当ててようやく輪郭が見えたことがありました。
拓本を取ると彫りの深さが浮かび上がり、石の表面では見えない線まで拾えます。
こうした小さな工夫が、記憶頼みの確認を実物の確認へつなげます。

墓石・仏壇・紋付で確認する

最も確実なのは墓石の確認です。
石に彫られた家紋は後から変えにくく、家の系譜が反映されやすいからです。
墓石、仏壇、本家の3点を見れば判明することが多く、特に大きな仏壇は中央の上下どちらか、または両方に家紋が入ることが多いので見落としにくいはずです。
墓石と仏壇で同じ紋が出れば、調査の確度は一気に上がります。
紋付の着物や羽織、袱紗、過去帳も有力です。
古いアルバムの衣装、人形の着物、法要で使った布ものにまで紋が入っていることがあり、意外なところから手がかりが出ます。
実家の墓は苔で苦戦したのに、本家の仏壇では立ち葵をはっきり確認できました。
ただ、分家の自宅に残っていた紋付には別の紋が入っており、分家で紋が変わった可能性に気づきました。
同じ家でも用途や分かれ方で紋が揺れることがある、そこが面白いところです。

ℹ️ Note

紋は一つだけで断定せず、墓石・仏壇・衣装の複数で照合すると安心です。

わからないときは戸籍・新規作成という選択

それでも本家や紋が見つからない場合は、調べたい家の最も古い戸籍、つまり除籍や改製原戸籍を取得して本家筋をたどります。
記録が古いほど手がかりは細くなりますが、戸籍の連なりを追うと、どの家から分かれたのか、どこで名前や居住地が変わったのかが見えてきます。
家紋探しは単なる図柄探しではなく、家の流れをたどる作業だと考えるとでしょう。
もし最後まで見つからなくても、自分が気に入った家紋を新たに用いることは法的に自由です。
家紋は血筋だけで固定されるものではなく、今の家を表す記号として選び直せます。
古い由来を探し切ることもおすすめですが、手元に確かな継承がないなら、新しい紋を家のしるしとして育てていくのも自然な選択です。
迷いを抱えたまま止まるより、使い方まで含めて決めてしまいましょう。

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