谷口さんの家紋|代表的な紋と由来
谷口さんの家紋|代表的な紋と由来
谷口は、全国に約20万7千人を数える姓で、名字ランキングでも73位前後に入る多い名字です。たにぐちが最も一般的ですが、やぐち、たにくち、やちなどの読みもあり、読みの揺れからして一系統にまとまりにくい性質が見えてきます。
谷口は、全国に約20万7千人を数える姓で、名字ランキングでも73位前後に入る多い名字です。
たにぐちが最も一般的ですが、やぐち、たにくち、やちなどの読みもあり、読みの揺れからして一系統にまとまりにくい性質が見えてきます。
この姓は「谷の入口」に由来する地形姓で、血縁のまとまりではなく各地の谷口に住んだ家がそれぞれ名乗ったため、家紋も一つには決まりません。
丸に橘、丸に蔦、木瓜に二つ引、笹竜胆といった代表紋が並ぶのはそのためで、近江の佐々木氏流や丹波の村上源氏流など、家の系統で紋が分かれるからです。
実家の墓誌に刻まれた紋を初めて見たとき、丸の中の植物が橘か蔦か判別できず、結局は本家の紋付と照合してようやく系統が分かりました。
谷口の家紋を知る近道は意味の解説ではなく、墓石、紋付、本家への聞き取りで実物を確かめることです。
まずは自分の家がどの系統かを見に行きましょう。
谷口さんの家紋は1つではない|地形姓ゆえの多系統
谷口は全国約20万7千人、名字ランキング73位前後の多い姓ですが、家紋は一つに定まりません。
谷の入口を意味する地形姓として各地で別々の家が同時多発的に名乗ったためで、同じ谷口でも出自がそろわないのです。
親戚の法事で複数の谷口家が集まったとき、紋付の紋がそれぞれ違っていて「同じ谷口なのに」と驚いた、という場面が起きるのも不思議ではありません。
『谷口の家紋』は一系統に決まらない理由
谷口姓は、血縁で一本につながる名字というより、土地の形から生まれた呼び名です。
山あいの川が削った谷の出入口に住んだ人が、各地でそれぞれ谷口を名乗ったので、全国の谷口家は最初から一枚岩ではありませんでした。
京都・石川・香川の一部では明治新姓と伝わる一方、近江国蒲生郡のように庄屋を務めた旧家もあり、由緒の濃淡もばらつきます。
だからこそ、ネットで『谷口 家紋』と検索しても答えが一つに絞れず、調べるほど混乱するわけです。
藤原氏由来の佐藤・伊藤のように、系統の中心が比較的見えやすい名字とは性質が違います。
谷口は出自がバラバラで、紋の中心傾向も弱い。
ここを押さえないまま「谷口の紋はこれ」と決め打ちすると、家ごとの伝承を取りこぼします。
実物で確かめる姿勢が欠かせないのは、そのためです。
代表的に伝わる紋は丸に橘・丸に蔦・木瓜に二つ引・笹竜胆など
谷口に伝わる紋は、丸に橘・丸に蔦・木瓜に二つ引・笹竜胆などが代表的です。
どれか一つが「正しい谷口の紋」なのではなく、家ごとの系統が違うので紋も分かれてきた、と見るのが自然でしょう。
たとえば丸に橘は、常緑のタチバナを象った十大家紋の一つで、常なるものや永続の縁起を重ねやすい紋ですし、丸に蔦は、はい広がる繁殖力を子孫繁栄に見立てた人気紋として受け継がれてきました。
木瓜に二つ引は、子孫繁栄を表す木瓜紋と、武家に好まれた力強い引両を合わせた紋です。
宇多源氏佐々木氏族の谷口氏、滋賀県長浜市谷口町に伝わる系統で用いられたとされ、滋賀の佐々木氏流では丸に三つ柏・丸に木瓜も伝わります。
笹竜胆は村上源氏の代表紋で、丹波の村上源氏流谷口家に対応します。
つまり谷口の紋は、近江の佐々木氏流と丹波の村上源氏流という二大系統で見え方が分かれるのです。
ポイントは3つ。
紋の名前だけでなく、どの土地の谷口なのかまで合わせて見ることです。
結局は墓石や紋付の実物が頼りになる
自分の家の紋を知りたいなら、まず祖父母や親戚に聞き、次に墓石や墓誌、紋付、仏壇、位牌を確認するのが確実です。
本家の紋は、特段の変更がないかぎり自家の紋として扱えますし、明治期の最古の戸籍までたどれれば伝承の手がかりも増えます。
系統判定は紋だけで断定せず、地名や家の言い伝えと合わせて見るのが筋でしょう。
ネット検索で迷った人ほど、実物を見ると腑に落ちます。
墓石の角に刻まれた小さな意匠、紋付の背に入った図案、法事で並んだ親族の違い。
そうした断片を拾っていくと、「うちの谷口はこの紋だったのか」と輪郭が立ってきます。
まずは家に残る物から見てみましょう。
焦らず、順に確かめてみてください。
名字『谷口』の由来と全国分布
谷口は、山あいの川が削った谷の出入口に住んだ人が、その地形を名にした地形姓です。
ひとつの祖先から広がった姓というより、似た地形のある土地で各地に別々に生まれた名前なので、同じ谷口でも出自がそろいにくいのが特徴になります。
地名に「谷」が残る集落を本籍地でたどると、由来が実感しやすい姓でもあります。
谷口=谷の入口に由来する地形姓
谷口という姓は、谷の奥ではなく、外から見て出入り口に当たる場所に結びついた名前です。
山あいの川が谷を刻み、その谷の口に暮らした人が名乗った地形姓だから、土地の形そのものが名字になっています。
祖父が「うちは明治になってからの谷口だ」と話していたように、由緒ある武家系だけに限られないところがこの姓の面白さで、地形由来の名は生活圏の変化とともに各地で生まれやすいのです。
このタイプの姓は、同じ字でも家ごとの来歴がそろいません。
谷口はその代表で、ある土地での暮らしぶりが先にあり、後から名字として固定された家もあれば、もっと古くから地域の地名と結びついていた家もある。
だからこそ、姓の説明は「どの谷口家か」まで掘り下げて考える必要があるでしょう。
関西を中心に全国に広がる分布
谷口は大阪府・兵庫県・京都府を中心に、鳥取・愛知・福岡など全国へ広がっています。
関西に厚みがあるのは、山地と谷が多い地形に生活が密着してきた土地柄と合いやすいからです。
谷の入口というわかりやすい地形名は、古い集落の呼び名から姓へ移りやすく、しかも似た地形が各地にあるため、ひとつの一族に集約されず全国に薄く広がりました。
分布が特定地域に偏らないことは、家紋が一系統にまとまりにくいことともつながっています。
分布の広さは血縁の広がりではなく、同じ地形があちこちで名字化した結果だと見ると腑に落ちます。
関西を起点にしながら全国へ散るこの姿は、地形姓の典型例だと考えてよいでしょう。
読み方の揺れと明治新姓の地域
読み方はたにぐちが最も多く、やぐち・たにくち・やちなどの揺れがあります。
読みの多様さは、文字が同じでも口伝や地域の発音が異なっていた証拠で、各地で独立して成立した姓であることを裏づけます。
谷口という二文字は見た目が同じでも、音の定着は一様ではなかったのです。
ℹ️ Note
近江国蒲生郡などには庄屋を務めた旧家で、郷士扱いとして名字を許された谷口家があり、京都・石川・香川の一部では明治新姓と伝わります。つまり、同じ谷口でも、古い在地の家と明治に新しく名乗った家が混在しているわけです。
本籍地を調べたとき、関西の谷あいの集落で地名に「谷」が残っていたことがあり、地形姓の由来をその場で実感したことがある。
読みの揺れと新姓の伝承が重なると、谷口はひとつの系譜で説明しきれない名字になる。
家の来歴をたどるなら、祖父母の記憶、墓石や位牌、本家の伝承を合わせて見ていくのがおすすめです。
代表紋①丸に橘|十大家紋に数えられる縁起紋
丸に橘は、日本に自生するミカン科の常緑樹タチバナを象った紋で、十大家紋に数えられるほど広く用いられてきました。
紀伊の谷口家に丸に橘が伝わる例もあり、谷口姓に縁のある代表紋の一つとして受け継がれています。
橘は葉が落ちず、果実が枝に長く残って香りを保つことから、古くから「常なるもの」や家の永続を重ねる縁起紋として選ばれてきたのでしょう。
橘紋が象徴する『常緑=永続』の縁起
橘紋の中心にあるのは、タチバナという植物そのものです。
常緑であることは見た目の特徴にとどまらず、冬も葉を保つ姿が「常(つね)なるもの」、つまり変わらず続くあり方を連想させます。
しかも果実は枝に長く残り、香りも続くため、家の存続や繁栄を願う意匠として結びつきやすかった。
紋というのは図柄の美しさだけで選ばれるのではなく、そこに込めたい願いが形になるものだ、と考えると理解しやすいです。
十大家紋に数えられるほど普及率が高いのも、この象徴性の強さと無関係ではありません。
橘は武家だけでなく、さまざまな家で受け入れやすい意味を持ち、格式と縁起を両立しやすい紋でした。
たとえば墓石や紋付に橘を見つけたとき、単なる植物模様として流してしまうのは惜しい。
家の継承を願う気持ちまで読み取れるからです。
ポイントは、意匠の奥にある「永続」の発想にあります。
紀伊の谷口家に伝わる丸に橘の例
紀伊、いまの和歌山で谷口家に丸に橘が伝わるという伝承は、谷口姓と橘紋の結びつきを考えるうえで興味深い手がかりになります。
丸に橘は、丸(輪郭)で囲んだ橘紋を指しますが、家ごとに受け継がれる紋は、単に図柄を選んだというより、地域や婚姻、分家のつながりを映すことがあるのです。
谷口家でこの紋が残る場合も、縁起重視で選ばれた可能性と、橘を用いた家からの影響が重なっていると見ると、紋の持つ歴史が立体的に見えてきます。
橘紋は井伊直政が用いたことでも知られ、武家のあいだに広がりました。
そのため、谷口家の丸に橘も、単独で完結した家紋というより、より大きな武家紋の流れの中で受け継がれた可能性を含んでいるのです。
墓石でみかんのような実と葉が丸く囲まれているのを見て、まず丸に橘だと当たりをつけ、紋帳で照合したことがありますが、こうした実見の確認があると伝承と図柄が結びつきやすい。
紋は静かな記号ですが、系譜をたどる入口になるでしょう。
丸囲みの有無による呼び名の違い
丸に橘は、橘紋を丸で囲んだ形で、丸の有無によって呼び名が変わります。
丸がなければ橘、丸があれば丸に橘です。
呼称の違いは小さく見えて、実際の識別ではかなり役立ちます。
紋付の紋が小さくて、橘なのか別の植物紋なのか迷ったこともありますが、花と実の配置、葉の向き、外周の有無を順に見ていくと判別しやすくなります。
見分けの軸を一つ持っておくと、紋帳との照合も速くなるのです。
墓石や衣装では、図柄が省略されて見えにくいことがあります。
だからこそ、まず外周の丸を確認し、次に中の植物が橘の特徴を備えているかを見る、という順番が有効です。
花だけ、実だけでは迷いやすいですが、両方がどう配置されているかを押さえると判断しやすい。
こうした細部の差が、同じ植物紋のなかで「橘」と「丸に橘」を分ける決め手になります。
紋を見るときの基本として覚えておくとよいでしょう。
代表紋②丸に蔦|子孫繁栄を願う人気紋
丸に蔦は、壁や樹木をはい広がる蔦の姿をかたどった家紋で、そのたくましい繁殖力が家系や子孫の繁栄になぞらえられてきました。
蔦は地をはい、さらに上へ伸びていくため、家が末広がりに栄える願いを込めやすく、武家にも庶民にも受け入れられた人気紋です。
谷口家に伝わる代表紋の一つとして見れば、単なる意匠ではなく、家の来歴や受け継ぎ方まで映す紋だとわかります。
はい広がる蔦=子孫繁栄のイメージ
丸に蔦の根底にあるのは、蔦が持つ「広がる力」です。
壁面や樹木に絡みつきながら面を広げ、地をはいながらも上へ伸びていく姿は、断絶よりも継続、停滞よりも伸長を連想させます。
そのため、家系が絶えずに続き、子孫が増え、暮らしが広がっていくことを願う象徴として扱われました。
見た目の柔らかさの内側に、強い生命力があるわけです。
親戚で蔦紋を使う谷口家があり、「繁殖力が強いから縁起がいい」と聞いて意味を初めて知った、という伝承も、このイメージとよく重なります。
家紋は図柄そのものより、どういう願いを託して受け継いだかが大切になる。
仏壇の打敷に入った紋を見て、三つに切れ込んだ葉だと気づき、橘ではなく蔦だと家族に教わった体験も、まさにその場で意味がほどけていく瞬間でしょう。
武家にも庶民にも好まれた理由
蔦紋が広く好まれた理由は、縁起の良さがわかりやすかったからです。
武家にとっては家の存続や一族の広がりを示す記号になり、庶民にとっては日々の暮らしの安定や商いの伸びを重ねやすい紋でした。
しかも蔦は特定の格式だけに閉じないため、家の大小を問わず取り入れやすい。
谷口のように全国に広い姓とも相性がよく、各地の家で使いやすい意匠になったと考えられます。
松平氏が一時期 蔦紋を用いた例があることも、蔦紋の幅広さを示しています。
もとは葵紋だったが徳川将軍家が葵紋を定紋にしたため蔦紋に替えたと伝わり、格のある家でも蔦紋が選ばれた事実が浮かび上がる。
つまり蔦紋は、庶民的な親しみやすさと武家の由緒を同時に受け止められる、珍しい立ち位置にあったのです。
佐々木氏流谷口家に伝わる丸に蔦
滋賀の佐々木氏流谷口家では、丸に蔦が伝わる家もあるとされます。
ここで大切なのは、蔦そのものと丸に蔦を分けて見ることです。
橘と同じく、丸囲みの有無で呼称が変わるため、墓石や紋付では外枠だけで判断せず、葉が三つ又に分かれる蔦の形を手がかりに見分けるとよいでしょう。
紋は似た図柄が多いので、細部の違いが家の識別に直結します。
丸に蔦を確かめるときは、葉先の切れ込みと茎の伸び方を落ち着いて見るのがおすすめです。
蔦は単なる装飾ではなく、家のつながりを示す記号ですから、形を見分けられると受け継がれた意味まで読み取りやすくなります。
谷口家に伝わる紋を見たら、どの枝がどこへ伸びているのかを想像してみてください。
そこに、子孫繁栄を願う家の気持ちがそのまま残っています。
代表紋③木瓜に二つ引|佐々木氏流谷口家の紋
木瓜に二つ引は、木瓜紋に二つの引両を重ねた合成紋で、宇多源氏佐々木氏族の谷口氏が用いたと伝わる。
単なる装飾ではなく、滋賀県長浜市谷口町の佐々木氏流谷口家という来歴と結びつくため、家の系統を読む手がかりになる紋だといえる。
織田木瓜と形が近く見えても、引両が入るかどうかで意味は変わる。
ここが識別の要所である。
木瓜紋=鳥の巣に由来する子孫繁栄の紋
木瓜紋は、瓜の輪切りや鳥の巣を図案化したとされ、正式名称は窠=かである。
子孫繁栄を意味する縁起紋として十大家紋の一つに数えられ、神の加護を表すともいわれてきた。
形が素朴で覚えやすいぶん広く普及し、織田信長の織田木瓜でも知られる。
つまり木瓜は、家の繁栄を願う普遍的なモチーフでありながら、同時に特定の家の印にもなりうる紋なのである。
ただ、木瓜に二つ引を読むときは、この一般性だけでは足りない。
木瓜単体なら縁起重視の紋として多くの家に見られるが、そこへ二つ引が加わると、武家の系譜を背負った合図になる。
墓石や古い持ち物で木瓜だけを見て織田家と混同しかけても、引両の有無を確かめると別物だと整理できる。
紋は似ていても、内側の意味は違うのだ。
引両(二つ引)が表す武家の力強さ
二つ引、すなわち引両は、横に引いた太い直線を二本描いた紋である。
線そのものは簡潔だが、そこに力強さと武門の気配が宿るため、武家に好まれた。
足利氏の二つ引両が有名で、見た瞬間に家格や軍事的な気分を思わせるのがこの紋の強みだろう。
装飾を削ぎ落として線だけにしたからこそ、かえって威勢が立ち上がる。
シンプルだが、軽くない。
木瓜と引両の合成は、子孫繁栄の木瓜に、武家らしい緊張感を重ねる構図である。
縁起を願うだけの紋でも、勢いを示すだけの紋でもない。
その両方を抱え込むことで、家の由緒と実力を同時に示しているわけだ。
橘や蔦のような縁起重視の紋とは性格が異なり、より系図的で、由来の説明力が強い。
家の歴史を紋で語るなら、こうした合成紋は実に雄弁である。
佐々木氏流谷口家と滋賀・長浜のルーツ
木瓜に二つ引は、宇多源氏佐々木氏族の谷口氏が用いたと伝わる。
滋賀県長浜市谷口町の佐々木氏流谷口家のルーツと結びつく点が、この紋のいちばん面白いところだ。
本家の墓に木瓜に横線二本の紋があり、調べていくうちに木瓜に二つ引、そして佐々木氏流へつながったと分かると、紋は図案ではなく家の記憶になる。
近江にルーツがあると知れた瞬間、紋の見え方が変わるのではないだろうか。
この系統がはっきりしているからこそ、木瓜に二つ引は代表紋として読める。
地元の長浜に結びつく情報、佐々木氏族という武家の系譜、木瓜と引両の二要素がそろって初めて、紋の意味が立体的になる。
家の墓や古文書にこの意匠が残っていれば、出自をたどる入口になるでしょう。
家紋は飾りで終わらない。
系図へ伸びる線になるのである。
代表紋④笹竜胆ほか|村上源氏流など他系統の紋
笹竜胆は村上源氏の代表紋で、谷口姓でも丹波の村上源氏流に伝わる系統として知られます。
近江の佐々木氏流が木瓜や柏を伝えるのに対し、こちらは笹竜胆が前面に出るため、同じ谷口でもルーツを見分ける手がかりになります。
親戚の谷口家が笹竜胆を使っていたのをたどると、丹波の村上源氏流の伝承が残っていて、近江系の自家とは別の流れだと腑に落ちました。
紋は飾りではなく、家の来歴を示す記号だとわかります。
村上源氏流谷口家と笹竜胆
笹竜胆は、秋に青い花を咲かせる竜胆と笹の葉を組み合わせた紋で、村上源氏を象徴する意匠です。
竜胆は根の苦さからその字が当てられ、古くから貴族に好まれてきました。
村上源氏は源氏の中でも格が高い家筋とされ、嫡流の久我氏が笹竜胆を用いたことでも知られます。
つまり、谷口姓のなかで村上源氏流を名乗る家に笹竜胆が伝わるのは、紋が家格と系譜を映すからです。
丹波の村上源氏流谷口家が笹竜胆を伝える事実は、谷口姓をひとまとめにはできないことを示します。
親戚筋で笹竜胆を見たとき、近江の佐々木氏流を思い浮かべていた家とはまったく違う背景が見えてきて、系統の違いが紋にそのまま表れるのだと実感しました。
家紋は同姓同紋を探す道具ではなく、どの系統に属するかを照らす目印だと言えるでしょう。
滋賀の谷口家に伝わる丸に三つ柏・丸に木瓜
滋賀の佐々木氏流谷口家には、丸に三つ柏や丸に木瓜も伝わるとされます。
柏は神事に使う葉として神聖さを帯び、木瓜は子孫繁栄の象徴として扱われてきました。
近江系の谷口家のあいだでも、笹竜胆だけに限られず、こうした紋が分かれて残るところに家ごとの事情があります。
同じ近江系でも、分家ごとに採る紋が少しずつ違うのは珍しくありません。
谷口家を調べるときに「近江系だからこの紋」と決めつけると、こうした幅を取りこぼします。
丸に三つ柏と丸に木瓜が並ぶことで、家の中にも複数の選択があり、婚姻や分出の経緯が紋に刻まれていくことが見えてきます。
近江系・丹波系で異なる紋の背景
近江系は木瓜に二つ引や柏、丹波系は笹竜胆、というように、谷口姓の紋は系統ごとに整理して見るのが正確です。
代表紋が分かれる背景には、単なる好みではなく、由緒の違いがあります。
どちらの家も谷口であっても、祖先のつながりが異なれば、家紋の選び方も変わるのです。
この違いを押さえると、谷口家の家紋を見たときに「何の紋か」だけで終わらず、「どの系統の紋か」まで読めるようになります。
近江系か丹波系かをセットで考えると、家紋は一枚の図柄ではなく、系譜を解く鍵になります。
紋の差は細部ではなく、家の出自を語る核心なのです。
自分の家の谷口家紋を確かめる手順
谷口家の家紋を確かめるなら、まず家族の記憶を起点にし、その後で墓石・墓誌、紋付や仏壇・位牌へと当たりを広げるのが確実です。
家紋は口伝だけで曖昧になりやすいので、実物で照合して丸囲みの有無や図案の差を見極めると、どの紋に当たるかが見えます。
本家が分かる場合はそこを裏取りの軸にし、どうしても不明なら最古の戸籍までたどる。
順番を決めて動くと迷いません。
まず家族に聞き、墓石・墓誌を確認する
最初に当たるべきなのは家族です。
両親が覚えていなくても、祖父母が昔の記憶を持っていることは少なくありません。
聞き取りで名前が出なくても、墓地に行けば手がかりが残っている。
実家の墓誌を写真に撮って確認し、紋帳と見比べたところ、丸に蔦だと確定できたことがある。
言葉の記憶より、石に刻まれた図案のほうが強い証拠になるのだ。
日本の墓石や墓誌には家紋が刻まれていることが多く、そこは自分の家の紋を直接知る一番一般的な場所になる。
線の太さや外枠の丸囲みだけで迷いやすいので、正面だけでなく側面も見ておくとよいでしょう。
複数の墓所や古い墓石があるなら、同じ紋が繰り返し出るかを確かめてみてください。
記憶と実物がそろうと、判断はずっと安定する。
紋付・仏壇・位牌に残る家紋を探す
次に見るのは、家の中に残っているものです。
紋付、喪服、訪問着、仏壇、位牌には家紋が入っていることが多く、衣類と仏具の両方を照合すると見落としが減ります。
丸囲みがあるかどうか、橘・蔦・木瓜・竜胆のどれに近いかを比べると、代表紋の候補がかなり絞れるはずです。
図案の印象だけで決めず、左右の葉や花弁の数まで見てください。
ℹ️ Note
実物が複数そろうと、家紋は「たぶん」から「かなり確か」に変わります。着物の胸紋と位牌の紋が一致するだけでも、家の中で受け継がれてきた形が見えやすくなる。
本家の紋付と自家の紋が一致したときは、系統への確信が一気に強まる。
特段の変更がない限り、本家の紋がそのまま自家の紋とみなせるからです。
ただし分家で紋を変えた例もあるので、1点だけで決めず、墓石や仏具とあわせて裏を取るのが安全である。
実物を見比べる作業は地味だが、ここでの一致がいちばん効く。
本家・最古の戸籍までたどる手順
どうしても分からない場合は、本家と最古の戸籍にたどり着くまで進めます。
本家が分かるなら、まず聞き取りをして、次に本家の墓を確認してください。
本家の紋は特段の変更がない限り自家の紋とみなせるので、系統確認の軸として使いやすい。
分家で紋が変わっていても、本家との比較で差分が見えれば判断材料になるでしょう。
それでも断定できないときは、調べたい家の最も古い戸籍、明治期のものを取り寄せ、本籍地から系統の手がかりを拾います。
近江系か丹波系かといった系統の推測は、紋だけではなく地名や伝承と合わせて見ると精度が上がる。
家紋は単独で結論を出す札ではなく、家の移動や分かれ方を読むための手がかりだ。
だからこそ、順番に確かめていく姿勢が役に立ちます。
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