松田さんの家紋|代表的な紋と由来
松田さんの家紋|代表的な紋と由来
松田の家紋は、輪違い、籠目(目籠)、二重直違い、松田浪、九曜のおおむね5系統が確認できる、単一ではない家紋である。墓石の紋を撮影したとき、籠目か輪違いかで目が止まったことがあるが、その迷い自体がこの一族の紋が時代で移り変わってきた事実をよく示している。
松田の家紋は、輪違い、籠目(目籠)、二重直違い、松田浪、九曜のおおむね5系統が確認できる、単一ではない家紋である。
墓石の紋を撮影したとき、籠目か輪違いかで目が止まったことがあるが、その迷い自体がこの一族の紋が時代で移り変わってきた事実をよく示している。
松田姓は全国に約27.8万人、順位はおよそ53位という大姓で、相模国足柄上郡松田郷を発祥とし、藤原北家秀郷流波多野氏の一族が松田を称したところから始まった。
だからこそ、家紋を一つに決め打ちするよりも、相模本流と備前分流、そして紋の変遷を順に追うほうが、松田家の実像に近づけるのである。
松田さんの家紋は一つではない|まず押さえる全体像
松田の家紋は、資料が足りないから一つに絞れないのではなく、松田氏そのものが相模本流・備前分流・近江守山系など複数の系統にまたがる一族だからです。
親族の法事で本家と分家の紋付が少し違って見えたときに、まさにこの構造を実感しました。
家紋帳で松田を引くと複数の紋が並び、最初に「どの系統の松田か」を見分ける必要がある、と気づかされるでしょう。
代表紋として挙がる5つの紋
確認できる松田家の代表紋は、輪違い・籠目(目籠)・二重直違い・松田浪・九曜のおおむね5系統です。
ここでは単に図柄の名前を並べるのではなく、どの系統で使われたか、どんな意味づけを帯びたかを切り分けて見ます。
松田姓の紋は一枚岩ではないので、この5つを軸にすると全体像が追いやすくなります。
松田家で史料上もっとも古く辿れるのは輪違い紋で、観応2年(1351年)の小清水合戦の記述に使用が見えます。
輪違いは平安期から好まれ、南北朝期以降に家紋化した幾何紋で、両界曼荼羅や協力・縁の象徴ともされます。
のちにおおむね1435年頃、魔除けの意味をもつ籠目(目籠、六角と三角の六芒星状)へ移り、さらに二重直違いへと替えたと伝わるため、松田家の紋は時代の流れの中で変遷してきたと考えるのが自然です。
| 系統 | 図柄の特徴 | 系統・由来 | 位置づけ |
|---|---|---|---|
| 輪違い | 輪を重ねた幾何紋 | 松田家で史料上もっとも古く確認できる | 史料的な起点 |
| 籠目(目籠) | 六角と三角の六芒星状 | おおむね1435年頃に用いたと伝わる | 魔除けの意味 |
| 二重直違い | 直違いを二重化した形 | 籠目の後に替えたとされる | 変遷の到達点 |
| 松田浪 | 水面に三つの波頭を細めの丸で囲む | 近江守山発祥の松田氏の固有紋 | 別系統の代表 |
| 九曜 | 九つの星を配した紋 | 備前松田氏で用いられた | 分流側の代表 |
定紋(本紋)と替紋(裏紋)の違い
家紋には定紋(本紋・正紋)と替紋(裏紋・別紋・控紋)の区別があります。
つまり、一家が複数の紋を持つこと自体が珍しくありません。
松田家も時代で紋を替えており、「どれか一つが正解」と決めつけると、かえって実態を取り落とします。
紋は家の看板であると同時に、戦場や婚姻、分家の事情を映す記号でもあるのです。
この視点を入れると、松田の家紋が複数見つかる理由はずっと読みやすくなります。
固定された一紋ではなく、家の中で役割を分けながら使い分けられてきた、と見るほうが実情に近いでしょう。
定紋と替紋を分けて考えることは、松田家だけでなく家紋全般を読むときの基本になります。
ここを押さえておくと、後続の各紋解説もすっと入ってきます。
なぜ松田姓で家紋が分かれるのか
松田姓は全国約278,000人、順位はおよそ53位で、千人に約2人という大姓です。
関東に多く、大阪・東京・北海道・神奈川・兵庫・福岡などにも分布が厚い。
これだけ人数が多ければ、同じ姓でも本貫地や分流の違いが積み重なり、紋が一系統に収まらないのはむしろ自然だといえます。
発祥地は相模国足柄上郡松田郷、現在の神奈川県足柄上郡松田町です。
藤原北家秀郷流波多野氏の一族、波多野遠義の子である義通=義常の系が松田郷に住み、松田を名乗ったのが始まりとされます。
さらに、相模松田氏の一族は備前国西部へ移って備前松田氏となり、松田元成の代に本拠を富山城から金川城へ移したうえで九曜・筋違を家紋としました。
家紋帳で松田を引いたときに複数の紋がヒットするのは、まさにこの系統差の反映です。
家紋の伝承には地域差や異説も含まれるので、本記事では確認できる範囲で系統別に整理し、断定しきれない箇所は留保しながら見ていきます。
松田氏のルーツ|相模国松田郷と藤原秀郷流波多野氏
松田氏は、相模国足柄上郡松田郷、現在の神奈川県足柄上郡松田町を発祥地とする一族です。
家紋を読む前に、この地名と本貫の関係を押さえるだけで、松田姓がどこから生まれ、なぜ各地に分かれていったのかが見えやすくなります。
系譜は藤原北家秀郷流波多野氏に連なり、波多野遠義の子・義通(義常)の系から松田を称した流れが基本線です。
発祥地は神奈川県松田町
相模国足柄上郡松田郷は、松田氏の名乗りを考えるうえで最初に確認すべき地点です。
実際に神奈川県松田町を歩くと、地名の由来板が立ち、名字の発祥地が抽象的な伝承ではなく、今も地図上でたどれる土地だと実感できます。
松田姓のルーツは、この松田郷という具体的な場所に根を下ろしているのです。
ここが大切なのは、松田氏が「地名を姓にした武家」の典型だからです。
相模を本貫とする一族がそこから各地へ分かれていくと、同じ松田姓でも本拠や後の家紋に違いが出ます。
発祥地を先に押さえると、紋だけを見て判断してしまう危うさを避けやすくなるでしょう。
松田町で由来板を確認したときも、読み物としての家名ではなく、土地の記憶として名字が残っていることがよくわかりました。
地名は飾りではありません。
家の始まりを示す、いちばん確かな手がかりになる。
波多野氏から松田を名乗るまで
松田氏は藤原北家秀郷流波多野氏の一族で、波多野遠義の子・義通(義常)の系から松田を称したと伝わります。
つまり、最初から松田だったのではなく、波多野氏の流れを引きながら、松田郷に住んだことで松田を名乗る段階を踏んだわけです。
武家の名乗りは居住地に由来することが多く、松田姓もその筋道にきれいに重なります。
家系の言い伝えと史料の系図を突き合わせる作業では、この「住んだ地から名乗る」という原理が見取り図になります。
伝承だけだと枝葉が揺れますが、波多野氏との接点をたどると、松田という姓が単なる思いつきではなく、系譜の転換点で生まれた名前だと読めるからです。
調べ物の順序は、松田郷を起点にして波多野遠義、義通、義常へとつないでいくのが自然でした。
相模を出た一族が備前など西国へ広がり、それぞれの地で独自の紋を用いるようになった点も、この系譜を理解すると腑に落ちます。
ひとつの発祥地から複数系統へ分かれる構造があるからこそ、松田姓だけでは紋を一つに決め込めないのです。
『松田』という名字の語源
名字『松田』の語源には、田の神を待つ招代(おぎしろ)として、多くの田の近くに松を植えたことに由来するという説があります。
松は単なる樹木ではなく、田を見守る目印であり、祈りの対象でもありました。
地形や農耕の景観がそのまま名字に刻まれている点は、ルーツを探す人にとって強い引きになります。
この語源説を知ると、松田という姓が地名由来であるだけでなく、生活の風景とも結びついていたことが見えてきます。
松のある田は、豊穣を願う土地の記憶を帯びています。
名前の中に風景が残る、そんな感覚です。
ただし、系譜や語源には異説や伝承の揺れがあります。
だからこそ、松田郷という発祥地、藤原北家秀郷流波多野氏との関係、波多野遠義の子・義通(義常)から松田を称した流れ、この三点を大枠として押さえておくのがよいでしょう。
細部を言い切りすぎず、確実な骨格から読む。
家紋の由来に進む前の、いちばん堅い土台になります。
輪違い紋|松田家で最も古く確認できる紋
輪違い紋は、二つ以上の輪を鎖状に組み合わせた幾何紋で、松田家では観応2年(1351年)の小清水合戦の記述にその使用が見える。
史料上、ここで確認できる輪違いが松田家でもっとも古く辿れる紋であり、家の記憶をたどる起点になる。
輪の形そのものは単純でも、家紋として見れば時代の重なりと一族の継承を映す印だとわかる。
輪違い紋の図形と種類
輪違いは、輪をただ並べるのではなく、互いにくぐり合うように鎖状へ組むところに特徴があります。
現存する紋付や図鑑を見比べると、輪の数や配置だけで印象が大きく変わり、丸に三つ輪違いのように中心を強く見せる型もあれば、輪の重なりを前面に出す型もあります。
だからこそ、松田家の輪違いがどの細かな型であったかは断定しにくいものの、輪違い系統であった事実は動かしがたいのです。
形の差を追うことは、家紋が単なる記号ではなく、視認性と意味を両立させるデザインだったと知る手がかりになります。
1351年の合戦記述に見える使用例
観応2年(1351年)の小清水合戦の記述で松田家が輪違いを用いたことが確認されると、年号の古さに思わず目を留めました。
古文書の写しを追っていくと、家紋の由来は伝承だけではなく、こうした一行の記述から急に輪郭を持ちはじめます。
松田家でもっとも古く辿れる紋とされるのは、この点が大きいでしょう。
南北朝期から室町初期にかけての使用時期と合うため、輪違いが平安期から好まれ、南北朝期以降に家紋として定着した流れとも自然に重なります。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 確認できる史料 | 観応2年(1351年)の小清水合戦の記述 |
| 松田家での位置づけ | 松田家でもっとも古く辿れる紋 |
| 歴史的な符合 | 南北朝期〜室町初期の家紋化の流れと重なる |
| 図形の特徴 | 二つ以上の輪を鎖状に組み合わせる |
輪が象徴する『協力・縁』の意味
輪違いは見た目の美しさだけでなく、意味の読み取りにも幅があります。
金剛界・胎蔵界の両界曼荼羅を表すとする見方があり、さらに『一人では生き難い世で複数が手を取り協力して生きる』という縁や協調の意味も伝わっています。
輪はひとつで閉じるのではなく、つながることで形を保つ。
そこに家の結束や相互扶助を重ねて読むと、松田家がこの紋を選び、長く受け継いだ理由も見えやすくなるのではないだろうか。
図形の整いと象徴の厚み、その両方が輪違い紋の魅力です。
籠目(目籠)紋と二重直違い紋|時代で替わった紋の変遷
松田家の紋は、輪違いのあとに目籠(籠目)へ移り、さらに二重直違いへ替わったと伝わります。
輪違い→籠目→直違いという流れを一本につなげて見ると、紋が単なる意匠ではなく、時代の気配や家の選択を映す記号だったことが見えてきます。
年代には伝承の揺れがありますが、おおよその順序を押さえるだけでも理解はぐっと整理しやすくなるでしょう。
籠目紋の図形と魔除けの意味
籠目紋は、竹や籐で編んだ籠の目を図案化した紋で、六角形と三角形が連なって六芒星状に見えるのが特徴です。
図鑑を見比べると、亀甲と取り違えやすいのですが、編み目の三角がはっきり出るかどうかを手がかりにすると見分けやすい。
連続する編み目に魔除けの力を見いだす感覚は古く、籠目が伊勢神宮の石灯籠に刻まれたと伝わるのも、その象徴性の強さを物語っています。
魔除け・厄除けの意味を帯びる図形を一族が採った背景には、戦乱期をくぐる家の護りへの願いが重なります。
図の美しさだけでなく、危うい時代に「守られる形」を選んだ点が肝心で、そこを読むと家紋史は一段深くなるのです。
紋は飾りではない、祈りの形でもある。
二重直違い紋への移り変わり
二重直違いは、筋を交差させた直違い系の紋で、籠目のあとに松田家が用いたと伝わります。
古い紋帳を並べて年代ごとの記載を整理すると、同じ一族でも記録の置き方が少しずつ違い、変遷の筋道が見えやすくなりました。
こうした作業をすると、紋が「固定された家の顔」ではなく、時代の節目で更新される選択だったと実感します。
この直違い系の意匠は、後の備前松田氏が用いる筋違・直違い系とも通じます。
本流で選ばれた図柄が地域分流の紋にも影響した可能性がある以上、二重直違いは単独の図案ではありません。
親族関係や分流の広がりまで視野に入れると、ひとつの紋から家のネットワークが立ち上がってきます。
輪違い→籠目→直違いという変遷の読み方
輪違い、おおむね1435年頃の目籠(籠目)、そして二重直違いへという順序は、松田家の紋の変遷を時系列で読むための骨格になります。
正確な年代や経緯には伝承の揺れがあるため、断定しすぎずに順序を示すことが読み解きの要です。
そこで大切になるのは、各紋を孤立した図柄としてではなく、前後の選択と連続する流れとして見る姿勢でしょう。
| 段階 | 紋 | 読み取りの焦点 |
|---|---|---|
| 先行 | 輪違い | 旧来の意匠としての出発点 |
| 中間 | 目籠(籠目) | 魔除けと戦乱期の護り |
| 後続 | 二重直違い | 直違い系への移行と連続性 |
この三段階を並べると、輪違い→籠目→直違いは、単なる図案変更ではなく、家の身構え方の変化として理解できます。
変わった理由をひとつに決めつけず、時代背景と図形の意味を重ねて読むことが、松田家の紋をいちばん自然に捉える近道です。
松田浪(三頭波)紋|近江守山発祥の松田氏が用いた紋
松田浪(三頭波)紋は、水面に三つの波頭を立て、それを通常より少し細い丸で囲んだ浪紋です。
近江守山発祥の松田氏が用いたことから松田浪と呼ばれ、松田姓を冠する固有の紋として位置づけられます。
浪紋は水の流れや生命力、絶えず動く力を映す意匠ですが、その中でも三つの波頭と細めの円郭が、松田浪を見分ける手がかりになります。
図鑑で松田浪・二頭浪・観世水を見比べると、この差は意外なほどはっきり見えてくるのです。
松田浪紋の図形的な特徴
松田浪の要点は、波頭の数と囲い方にあります。
三つの波頭が並ぶことで、同じ浪紋でも二頭浪のような片寄りの動きとは印象が変わり、丸で囲われていることで紋全体が一つのまとまりとして立ち上がります。
しかも、その円は少し細い。
ここが重要で、単なる装飾ではなく、線の太さまで含めて識別対象になるのが紋章の面白さでしょう。
浪紋は自然紋の一種として、水の循環や勢いを象徴してきましたが、松田浪ではその象徴性が図形の整理によって際立ちます。
三つの波頭は視覚的に数えやすく、見間違いが起きにくい。
観世水のように水流を柔らかく見せる意匠と並べると、松田浪は輪郭の締まりが強く、家紋としての判別性が高い紋だとわかります。
近江守山の松田氏という出自
松田浪が松田姓を冠するのは、近江守山発祥の松田氏がこの紋を用いたからです。
同じ松田姓でも、発祥地が異なれば系統も紋も異なる。
その事実は、家名だけで家のつながりを決めつけられないことを示しています。
地名と紋を結びつけて見ると、氏族の分岐が図像の差として残るのが見えてきます。
近江守山周辺の地名と松田姓の分布を地図で照合すると、紋の地域性はさらに理解しやすくなります。
松田浪は単独の意匠ではなく、土地と家が結びついた痕跡でもあるからです。
相模本流とは別の系統に位置づけられる可能性が高いという点も、ここで裏づけられます。
紋を見るだけでなく、どの土地で誰が用いたかまで追うと、家紋は一気に具体性を帯びますね。
他の浪紋(二頭浪など)との違い
浪紋の比較では、松田浪を二頭浪や観世水と並べると違いがつかみやすくなります。
二頭浪は片側から寄せる波の流れが主で、動きの方向がはっきりしているのに対し、松田浪は三つの波頭を立てて円内に収めるため、より整った印象になります。
戦国大名の斎藤道三が浪紋を用いたことでも知られますが、同じ浪紋でも構図は大きく異なるのです。
| 紋名 | 波頭の数 | 囲み方 | 印象 |
|---|---|---|---|
| 松田浪 | 三つ | 通常より少し細い丸で囲む | 整った識別性 |
| 二頭浪 | 二つ | 片側から寄せる形が中心 | 動きが強い |
| 観世水 | 非公表 | 水流を連続的に表す | やわらかい流れ |
この比較で見ると、松田浪の特徴は「波の勢い」よりも「波をどうまとめるか」にあります。
だからこそ、同じ浪紋の仲間でも見分けやすい。
図鑑で細部を追い、地図で松田氏の分布を重ねると、松田浪は図形と系譜が一致する珍しい例だと実感できるでしょう。
備前松田氏と九曜・筋違紋|西国に広がった分流
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 名称 | 備前松田氏 |
| 出自 | 相模松田氏の一族が備前国西部へ移り、勢力を築いた分流 |
| 主な拠点 | 富山城(岡山市北区矢坂)、金川城(玉松城/岡山市北区御津金川) |
| 伝わる家紋 | 九曜、筋違 |
| 本流の家紋 | 輪違い、籠目、直違い |
備前松田氏は、相模松田氏の一族が備前国西部へ移って勢力を築いた分流であり、同じ松田姓でも家紋が地域ごとに分かれることを示す代表例です。
本流が輪違い・籠目・直違いを伝えるのに対し、備前では九曜・筋違が前面に出るため、系統の分岐が紋の違いにそのまま表れています。
相模から西国へ移る過程で、戦功と城郭支配が紋の継承にも影響したと見ると整理しやすいでしょう。
相模から備前へ移った松田氏
備前松田氏は、相模松田氏の一族が備前国西部へ移り、戦国期に一帯を支配した有力分流です。
移住によって土地の実権を握ると、旧来の本流と同じ紋をそのまま掲げるよりも、地域の勢力図に応じた家の見え方が強まり、九曜・筋違という別系統の紋が前面に出てきます。
ここに、姓の同一性と家紋の多様性が分かれていく面白さがあるのです。
金川城跡を訪ねると、案内板に松田氏の系譜と紋が並び、相模本流との違いが実感しやすかった。
図鑑で本流と備前分流の紋を照合すると、九曜と直違いの系統差は輪郭がはっきりします。
似た線構成を持ちながら、星紋としての九曜は中央の星を八つの星が囲む形で、直違い系は線の交差や傾きが家の印象を決めるため、見比べるほど分岐の意味が見えてきます。
自家の紋から系統を推定する際にも、こうした比較は手がかりになるはずです。
富山城・金川城を拠点とした戦国大名
備前松田氏は赤松氏方として戦功を重ね、松田元成の代に本拠を富山城(岡山市北区矢坂)から金川城(玉松城/岡山市北区御津金川)へ移しました。
富山城から金川城への移動は単なる居城替えではなく、支配の中心をより堅固な山城へ寄せる選択でもあります。
金川城が『備前西部最強の要害』と称されたのは、周辺を見渡す防御力と、戦国期の緊張感を受け止める地形がそろっていたからでしょう。
城と紋を一緒に見ると、家の伸長が視覚的に追えるのが分かります。
富山城で根を張り、金川城で領域支配を固める流れは、備前松田氏が西国で独自の存在感を得た過程そのものです。
戦国期の城・人物・年代には史料間で差異があるため、細部は留保しつつも、大枠としては松田元成の時代に拠点が移り、家の格が山城とともに高まったと押さえれば十分です。
九曜・筋違という別系統の紋
九曜紋は中央の星を八つの星が囲む星紋で、北斗・妙見信仰との結びつきが知られます。
備前松田氏に伝わる九曜と筋違は、相模本流の輪違い・籠目・直違いと並べると、同じ松田姓でも家紋は系統で別になることを端的に示します。
とくに筋違(直違い)系の紋は、本流の二重直違いと図形的に通じる部分があり、完全な断絶ではなく、連続と分岐が重なって見えるのが特徴です。
この見え方は、家紋をただの装飾としてではなく、移動した一族がどこで何を残し、どこで違いを作ったのかを読む手がかりに変えてくれます。
備前松田氏の九曜・筋違は、相模本流との距離を示す印であると同時に、松田姓の内部で系統が分かれていった歴史の痕跡でもある。
そこを押さえると、後段で自家の紋から系譜を考える視点へ、自然につながっていきます。
自分の家の松田の家紋を調べる手がかり
松田の家紋をたどるときは、まず墓石や仏壇、紋付、古い家紋帳のような身近な実物を3点ほど当たり、本家や年長の親族にも聞き取るのが確実です。
実家の墓石と仏壇で紋が食い違って見えたことがありましたが、本家に確認すると定紋と替紋の関係だと分かりました。
見つかった紋の型から、どの系統に近いかを逆引きすると調べ物が一気に進みます。
墓石・仏壇・紋付から実物を確認する
最初に見るべきなのは、家の中と先祖のまわりに残っている実物です。
墓石の紋、仏壇の飾り、黒紋付や袱紗、古い家紋帳を突き合わせると、記憶違いや伝承の揺れを避けやすくなります。
3点ほど実物を確認し、そこへ本家や年長の親族の記憶を重ねる。
これがいちばん手堅い入り口でしょう。
紋は口伝だけでは崩れやすいので、目で見える資料を先に押さえるのが近道です。
発祥地・本貫から系統を推定する
確認できた紋が輪違い・籠目・直違い系なら相模本流、九曜・筋違系なら備前分流、三つ波の浪紋なら近江守山系、といった具合に当たりをつけられます。
松田姓の系統整理は、姓そのものではなく紋の型と土地のつながりで読むと見通しが立つのです。
菩提寺の過去帳と本貫地を照合していくと、自家がどの系統に近いかが少しずつ浮かび上がってきます。
実際にその手順で調べると、墓所の位置と古い記録の一致が手がかりになり、系統の方向性が見えた。
こうした逆引きはおすすめです。
姓だけで断定しないための注意点
同じ松田姓でも、系統が違えば紋は別になり得ます。
婚姻や養子、改紋で変わることもあるため、姓と紋を一対一で結びつけてしまうのは危うい。
実際、家の墓石と仏壇で紋が一致しない場面は珍しくなく、そこから定紋と替紋の違いに気づくこともあります。
だからこそ、姓が同じだから同じ紋だろう、とは言い切れません。
実物が見つからず、伝承も途切れているなら、菩提寺の過去帳や本貫地の照合で手がかりを拾っていきます。
それでも確証が得られない場合はある。
そこを曖昧にせず、分かる範囲を分かる範囲として扱う姿勢が調べ物ではいちばんの支えになります。
手元にある断片を一つずつ確かめていきましょう。
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