近藤さんの家紋|下がり藤・鹿角・代表紋と由来
近藤さんの家紋|下がり藤・鹿角・代表紋と由来
近藤の家紋は、墓石や紋付で目にしても一つに定まらない。近藤は藤原氏に由来する苗字で、全国約36位、人数も約36万〜38万人にのぼる大姓だから、藤原秀郷流を中心に複数の系統へ枝分かれし、紋も分かれてきたのである。
近藤の家紋は、墓石や紋付で目にしても一つに定まらない。
近藤は藤原氏に由来する苗字で、全国約36位、人数も約36万〜38万人にのぼる大姓だから、藤原秀郷流を中心に複数の系統へ枝分かれし、紋も分かれてきたのである。
代表的なのは、藤原氏の象徴である下がり藤、松平清康が近藤乗直の勇力をたたえて命じたと伝わる抱き鹿角、そして新選組局長の近藤勇に結びつく丸に三つ引き両だ。
あなたの家の紋がこの三つのどれに近いかを手がかりに見ていくと、近藤という同じ苗字でも由来が違えば紋も変わる構造がはっきりするでしょう。
そもそも近藤という名は、近江に住んだ藤原秀郷の玄孫・脩行が、近江の近と藤原の藤を合わせて名乗ったことに始まる。
加藤、伊藤、後藤、斎藤と同じく、藤原氏のネットワークが苗字と家紋に残した痕跡であり、近藤の紋をたどることは、その系譜をたどることにもなるのです。
法事で本家の墓石に刻まれた紋を見て、これは何という紋だろうと気になったなら、まずは下がり藤、抱き鹿角、三つ引き両の三系統を知ってみてください。
そこから墓石、仏壇、紋付を確かめ、本家や年長の親族に聞けば、自分の家の紋に近づけるはずです。
近藤さんの家紋に『これ一つ』という正解はない
近藤は全国順位約36位、人数は約35.7万〜38万人にのぼる大姓で、ここまで広い名字になると、家紋も出自も一つの型に収まりません。
ネットで「近藤 家紋」と引くと下がり藤も鹿角も三つ引き両も並び、かえって迷うはずです。
だからこそ、最初に知るべきなのは「近藤さんの紋はこれ」と断定することではなく、近藤という姓が複数の系統に分かれている事実でしょう。
### 全国36位・約36万人の大姓という背景
親族の法要で本家の墓石を間近に見たとき、見慣れない紋が刻まれていて、思わずスマホで撮ってあとから調べようとしたことがあります。
あの場面で感じたのは、同じ近藤でも家ごとに手がかりが違うということでした。
近藤は全国順位約36位、人数約36万人の大姓なので、同じ名字の中に多くの家が入り、家紋も一枚岩にはならないのです。
検索欄で「近藤 家紋」と入れると、下がり藤も抱き鹿角も丸に三つ引き両も出てきて、どれが自分の家に当たるのか分からなくなりやすいでしょう。
そうした混乱は珍しくありません。
名前が広く分布しているほど、系統の差がそのまま紋の差として表れやすくなるからです。
### 藤原氏由来の苗字は複数系統に枝分かれする
近藤の起こりは、藤原秀郷の玄孫にあたる脩行が近江掾に任官して近江国に住み、「近江の近」と「藤原の藤」を合わせて近藤を名乗ったことにあります。
加藤・伊藤・後藤・斎藤と同じく、任地や役職に藤原の「藤」を添える命名パターンの一つで、語源には近江の国名説と近江掾の職名説の両方があります。
ここが出発点です。
ただし、近藤氏は藤原秀郷流だけでなく、利仁流・良門流・西光流などにも分かれます。
系統が違えば、受け継ぐ紋も変わる。
藤原氏由来という共通点はあっても、家ごとの歴史は別々に積み重なるので、「近藤一般の紋」を一つに決める発想そのものが合わないのです。
代表的な家紋は次の3系統に整理できます。
| 系統 | 代表家紋 | 背景 | 見分けの手がかり |
|---|---|---|---|
| 藤原系の象徴 | 下がり藤 | 藤原由来の近藤家に自然に受け継がれた | 花房が下に垂れる |
| 武功の逸話 | 抱き鹿角 | 近藤乗直が鹿の角を素手で引き裂いた勇力の逸話 | 角だけで鹿を表す |
| 新選組近藤勇 | 丸に三つ引き両 | 近藤勇が養子として姓と道場を継いだ系統 | 横線を3本引く紋 |
下がり藤は藤原氏の象徴としてもっとも分かりやすく、抱き鹿角は武功の記憶を背負った家紋として強く印象に残ります。
丸に三つ引き両は新選組局長・近藤勇の名で知られますが、藤原系の近藤とは系統が異なる点が肝心です。
近藤という同じ姓でも、来歴が違えば紋の意味も別になるわけです。
### まず確認すべきは『自分の家の系統』
本当に確かめるべきなのは、「近藤の家紋は何か」ではなく「自分の家はどの系統か」です。
墓石、仏壇、紋付に刻まれた紋は、その家が長く使ってきた手がかりになり、本家や年長の親族の記憶と重ねると輪郭がはっきりします。
愛知県に近藤が多く、東海・四国地方にも広がる事実を見ても、地域ごとの伝わり方に差があるのは自然でしょう。
この先を読むうえでの地図は単純です。
まず系統を押さえ、次に下がり藤・抱き鹿角・丸に三つ引き両のどれに近いかを見比べる。
現物の紋は、ネット検索の一覧よりはるかに確かな答えを返してくれるのです。
なぜ近藤は『藤原氏』の苗字なのか
近藤は、藤原秀郷の玄孫にあたる脩行が近江掾に任じられ、近江国に住んだところから生まれた苗字だと説明される。
『近江の近』と『藤原の藤』を重ねた名乗りで、藤原氏の流れをひと目で示す作りになっている。
もっとも、語源には近江国の国名に由来すると見る説と、近江掾という職名に由来すると見る説があり、出自の物語は一枚岩ではない。
だからこそ、断定しすぎずに読む姿勢が必要になる。
近江掾・藤原脩行が『近藤』を名乗った
近藤の起こりは、藤原秀郷の玄孫にあたる脩行が近江掾に任官し、近江国に住したことにある。
近江の「近」と藤原の「藤」を合わせて近藤とした、という成り立ちを押さえると、この苗字が単なる地名風の名前ではなく、藤原氏の系譜を背負った名乗りだとわかる。
親戚から「うちは藤原の流れらしい」と聞かされても半信半疑だったのに、語源の説明とつながった瞬間に、急に歴史が自分の家に近づいてくる。
その感覚は、苗字の由来を知る面白さでもある。
語源には、近江国そのものを取ったと見る説と、近江掾という職名を手がかりにしたと見る説の両方が残る。
どちらか一つに固定するより、出自の伝え方に揺れがあると受け止めたほうが自然だろう。
家の由来は、ひとつの答えだけで閉じないことがあるのだ。
『藤』のつく苗字は藤原氏ネットワークの名残
加藤、伊藤、後藤、斎藤のように『藤』がつく苗字は、いずれも藤原氏ゆかりだ。
加賀や伊勢のような任地、あるいは後・斎のような役目や区別の語に、藤原の「藤」を足して名乗る構造が共通している。
地名や職掌を前に置き、最後に藤を添えるだけで、自分たちがどの系譜につながるかを示せる。
苗字とは、身分と移動の履歴を短く圧縮した記号でもある。
この見方を知ると、自分の苗字に『藤』が入っていることをそれまで意識していなかった人でも、急に歴史を身近に感じやすくなる。
藤原氏のネットワークは、単なる一族の拡大ではなく、任地や役職をまたいで広がった名乗りの共有圏だった。
近藤もその中のひとつで、読者自身の苗字を相対化する手がかりになる。
下がり藤が藤原系の象徴とされる理由
藤原氏の象徴としてまず思い浮かぶのが下がり藤だ。
花房が下に垂れる姿は、藤という植物の見た目をそのまま写したようで、藤原由来の家に受け継がれやすかった。
近藤家でもこの紋が自然に選ばれやすいのは、苗字そのものが藤原系のネットワークに属しているからである。
家紋は飾りではない。
名乗りの背景を図柄に変えたものだ。
ただし、近藤氏には藤原秀郷流を中心に、利仁流、良門流、西光流など複数の系統があり、系統が違えば用いる紋も変わる。
下がり藤だけで近藤家を一括りにはできないし、上がり藤や別系統の紋が見つかることもある。
三つの方向で見ると整理しやすい。
| 系統 | 代表的な紋 | 特徴 |
|---|---|---|
| 藤原秀郷流 | 下がり藤 | 藤原の象徴として受け継がれやすい |
| 松平氏周辺の近藤氏 | 抱き鹿角(角) | 狩りの勇力をたたえる尚武の紋 |
| 近藤勇の系統 | 丸に三つ引き両 | 武家旗印由来で、藤原系とは別系統 |
この続きで紋の見分け方に入ると、なぜ同じ近藤でも家紋が割れるのかが見えやすくなる。近藤の名前の中にある『藤』が、次章の藤紋へそのままつながっていく。
代表家紋①|藤原氏の象徴『下がり藤』
下がり藤は、藤の花房が下へ垂れる姿を丸く整えて図案化した紋で、藤原氏の系統を示す象徴として扱われてきました。
近藤家のように藤原由来を意識する家でこの紋が用いられるのは、家名の由来とも自然につながるためです。
見た目は素朴でも、家の来歴を静かに語る力を持つ紋だと言えるでしょう。
下がり藤とはどんな紋か
下がり藤は、花房が地面に向かって垂れる藤の姿を、そのまま家紋の円形の中に収めた図柄です。
枝ぶりよりも花房の流れを強調するので、遠目にも「藤の紋だ」とわかりやすく、墓石や紋付の胸、袂で目にしたときにも印象が残ります。
家族で紋付の羽織を見比べたとき、花房が下を向いていると気づいて「下がり藤だ」と確かめ合った、そんな場面はまさにこの紋の特徴をよく表しています。
藤原氏が用いた系統の象徴として読めば、近藤家がこの紋を選ぶ流れにも無理がありません。
下がり藤と上がり藤の違い・俗説の注意点
見分けるポイントは、実はとても単純です。
花房が下を向けば下がり藤、上を向けば上がり藤になります。
図鑑で藤紋のページを開くと、下り藤、上り藤、藤輪などが並び、どれも似て見えて迷いやすいのですが、まずは花房の向きだけを押さえると判別しやすくなります。
丸にしたときの外形は近くても、藤の重みを下に受けるか、上へ持ち上げるかで印象ががらりと変わるのです。
ただし、『下り藤=藤原本流、上り藤=分家や藤原以外』という区別は俗説で、例外が多いです。
さらに、下がりは家運の陰りに通じるとして、縁起を担いで上がり藤に変えた家もある、という説も知られています。
だからこそ、紋の向きだけで家格まで断定しない姿勢が必要になります。
紋は系譜の手がかりにはなっても、単独で家の序列を決める札ではないのです。
丸に下がり藤など主なバリエーション
藤紋には、丸に下がり藤のように円で囲ったもの、藤の房をやや簡略化したもの、藤輪のように輪郭を強めたものなど、いくつもの変化があります。
墓石で見たときは線の太さや外枠の有無が手がかりになり、紋付では小さく染め抜かれているため、花房の本数や向きに目を凝らすと判別しやすくなります。
似た意匠が並ぶ図鑑を開くと、どれも同じ藤に見えてしまうでしょう。
だからこそ、まず下向きか上向きかを確認し、次に丸囲いの有無を見る順番が役に立ちます。
近藤家の墓石や紋付で見かけたときも、この順で照合すると落ち着いて見分けられます。
丸に下がり藤は、藤原系の気配を強く伝える典型の一つであり、家の印としても視認性が高い紋です。
藤紋の中では比較的わかりやすい部類ですが、細部の違いが家ごとの差になるので、似ているからこそ丁寧に見てみてください。
代表家紋②|勇猛の象徴『抱き鹿角(角)』
鹿角紋は、鹿の角だけで鹿そのものを表す、武家らしい切れ味のある家紋です。
近藤家、諏訪家、春日家などに見られ、藤紋のような優美な系統とは違って、武を尊ぶ尚武の気配が前面に出ています。
鹿は古くから神の使いとして扱われ、兜の前立てにも好んで用いられてきました。
だからこそ、角のかたちだけで鹿を示す意匠が、家の誇りや戦う姿勢を象徴する紋になったのでしょう。
鹿角紋とはどんな紋か
鹿角紋は、鹿の全身を描かず、角の形だけで鹿を示すのが特徴です。
省略された図柄なのに、見た人に鹿を強く想起させるのは、角がそのまま生命力や勇気の印として読まれてきたからです。
近藤家にこの紋が伝わることは、単なる意匠の選択ではなく、家の精神がどこに置かれていたかを教えてくれます。
資料館で戦国武将の兜を見たとき、鹿角の前立てが家紋の鹿角と同じモチーフだとすぐ分かりました。
実物は図鑑よりずっと迫力があり、左右に張り出す角の線だけで、武将の気迫が伝わってきます。
家紋と甲冑が同じ象徴を共有していた、と腑に落ちる瞬間です。
松平清康と近藤乗直『鹿角下賜』の逸話
近藤家の鹿角紋を語るうえで、松平清康と近藤乗直の逸話は核になります。
徳川家康の祖父である松平清康に仕えた近藤乗直が、ともに狩りに出た際、鹿を捕らえ、その角を素手で引き裂いたと伝わります。
清康はその勇力を高く評価し、「以後、鹿角を家紋とせよ」と命じた。
こうした物語が残るのは、紋が単なる装飾ではなく、主人が認めた働きの証として受け継がれたからです。
本家の墓石に刻まれていた左右対称の角のような紋を、最初は何の図柄か分かりませんでした。
けれど鹿角紋だと知り、背後にこの逸話があると分かったとき、石の模様が急に家の履歴として立ち上がってきます。
勇猛をたたえられた結果が紋になり、墓石にまで刻まれている。
そう思うと、近藤家の誇りが静かに伝わってきました。
ℹ️ Note
鹿が神の使いとして大切にされ、武将が兜の前立てに鹿角を採った背景を重ねると、この逸話は単なる武勇伝ではなく、信仰と戦の両方にまたがる象徴として読めます。
丸に抱き鹿角など主なバリエーション
近藤家の代表家紋としては、丸に抱き鹿角がしばしば挙げられます。
丸の中に鹿角を抱かせる形は、まとまりのよさと力強さを両立していて、墓石や印章に載ったときにも輪郭が崩れません。
ほかに違い鹿角もあり、角の向きや交わり方で印象が少し変わりますが、どれも「角で鹿を表す」という発想は共通です。
比較すると、覚え方は意外に簡単です。
角が大きく開いていれば勇ましさが前に出て、丸が付けば近藤家らしい安定感が増す。
つまり、図柄の違いは細部でも、受け取る印象は一貫しています。
鹿角という一点を押さえれば、逸話と紋の両方がつながります。
近藤家の家紋は、まさにその記憶の結び目になるのです。
代表家紋③|新選組・近藤勇の『丸に三つ引き両』
近藤勇の代表家紋は、丸に三つ引き両です。
新選組局長として名が通った人物ですが、家紋だけを見ると藤紋の近藤や鹿角紋の武家を思い浮かべた人ほど、意外性を覚えるはずです。
ここで見えてくるのは、同じ「近藤」でも系統が違えば紋も変わるという、武家紋の基本です。
近藤勇と『丸に三つ引き両』
近藤勇の紋は、円の中に三本の横線を配した丸に三つ引き両です。
新選組のイメージから下がり藤を連想すると、実際の意匠との落差がはっきりします。
しかも近藤勇は、近藤周助の養子として近藤姓と試衛館を継いだ人物であるため、姓だけで家紋を決め打ちすると見誤りやすいのです。
苗字と血筋、家業と紋は、必ずしも一直線にはつながりません。
新選組ファンが近藤勇の紋だと思って下がり藤を期待したのに、実物は三つ引き両だった、という感覚はよく起きます。
そこにあるのは単なる意外性ではなく、武家社会で家名の継承が養子縁組によって成立していた現実です。
近藤勇の場合はまさにその典型で、名乗りの継承と紋の由来を切り分けて考えないと、本質を取り違えてしまいます。
引き両紋とは何か
引き両紋は、真横に引かれた線の数で一つ引、二つ引、三つ引と呼び分ける紋です。
線が少ないほど簡潔に見えますが、武家の旗印に由来するため、むしろ実戦的で識別しやすい意匠として発達しました。
装飾性よりも、遠目で判別できる記号性が先に立つ紋だと考えるとわかりやすいでしょう。
新田氏の一つ引両、足利氏の二つ引両は、その代表例です。
| 区分 | 代表例 | 特徴 |
|---|---|---|
| 一つ引両 | 新田氏 | 横線が1本で、最も簡潔な系統 |
| 二つ引両 | 足利氏 | 横線が2本で、武家の系譜を示す代表格 |
| 三つ引両 | 近藤勇の丸に三つ引き両 | 横線が3本で、丸囲みの形にまとまる |
引き両は、同じ線の文法でありながら、家ごとに本数や囲み方を変えて個性を出せるのが特徴です。
丸に三つ引き両は、その中でも視認性が高く、旗や印に載せたときに輪郭が締まる。
だからこそ、近藤勇の紋として覚えると、引き両紋全体の見方まで整理しやすくなります。
近藤勇の家系は藤原系近藤とは別という注意点
近藤勇は近藤周助の養子として近藤姓と道場、つまり試衛館を継いだ人物です。
この経緯を踏まえると、藤原秀郷流の近藤と同一視するのは危ういとわかります。
『有名な近藤の紋=全近藤の紋』ではない、という注意はここでこそ効いてきます。
姓が同じでも、由来が違えば紋はまるで別物になるからです。
この点を知ると、近藤勇の三つ引き両は単なる図柄ではなく、家の継承のあり方まで映す記号に見えてきます。
同じ近藤でも、血筋・養子・道場の継承が絡めば、受け継がれる紋は変わる。
まさにその違いを確かめることが、本記事全体の主題です。
自分の家の系統を確かめる、その視点を持って眺めてみてください。
近藤家のルーツと地域分布から系統を絞る
近藤家は一系統で語り切れる家ではなく、藤原秀郷流を中心に、藤原利仁流、良門流、西光流など複数の流れが重なって見える家です。
だからこそ、家伝だけで断定するより、どの地域に根を張った近藤氏か、どの紋を使ってきたかを合わせて見たほうが、系統の輪郭はずっと掴みやすくなります。
ここでは、その見分けの補助線を地域分布から引いていきます。
藤原秀郷流を中心とする複数の系統
近藤氏の主流としてまず押さえたいのは藤原秀郷流です。
そこに藤原利仁流、良門流(北面の武士)、西光流などが並び、同じ近藤姓でも出自の重なり方が一様ではありません。
系統が違えば、どの土地に勢力を持ったか、どの紋を重んじたかにも違いが出やすくなります。
家名だけ見て一本化すると、むしろ取り逃がすものが多い。
近藤という姓は、その典型だといえるでしょう。
この複数系統という構造を知ると、親族に系統を尋ねても「藤原の流れらしい」程度しか返ってこなかった理由も腑に落ちます。
三代、四代とさかのぼるうちに、家の中で共有されるのは大枠の祖先意識だけになりやすいからです。
系統名が残っていても、どの支流なのかまでは曖昧なことが多い。
だから地図と紋が手がかりになるのです。
愛知・東海に多い分布が示すこと
近藤姓は人口・密度ともに愛知県が最も多く、東海地方や四国地方、特に徳島・愛媛に多く分布します。
ここで見えてくるのは、姓の広がり方が全国一様ではなく、ある地域にまとまって濃く残るという事実です。
実際に自分の家のルーツが愛知にあると分かったとき、近藤が東海に多いという分布データときれいに重なり、「なるほど」と腑に落ちました。
地域の偏りは偶然ではなく、移動の少なさや一族の継承の痕跡として読むことができます。
三河には松平氏に仕えた近藤氏がいて、その存在は鹿角の逸話とも地理的に符合します。
三河・尾張のような土地に根を張った家なら、鹿角の系統を疑う余地が出てくる。
対して、藤原本流を強く意識してきた家なら、下がり藤を手がかりにする見方が自然になります。
地域の偏りは、家紋の候補を絞るための地図になるわけです。
ℹ️ Note
親族へ尋ねても手がかりが薄いときほど、土地と系統の重なりを丁寧に拾うと、家の輪郭が少しずつ見えてきます。
地域・系統・家紋の対応は『傾向』にすぎない
ただし、地域と系統、家紋の対応はあくまで傾向です。
三河・尾張だから必ず鹿角、藤原の流れだから必ず下がり藤、というふうには決められません。
移住、養子、婚姻、奉公先の変化が重なれば、同じ姓でも紋は変わり、伝承もずれていきます。
見当をつけるための補助線ではあるが、確証そのものではない。
ここを取り違えると、推測が先走ってしまいます。
ポイントは、分布図で候補を狭め、次に現物で確かめることです。
家紋は墓石、位牌、古い文書、印判などに残りやすく、そこで初めて「この家はどの流れに近いのか」が具体的になります。
地域分布や系統論は、答えを言い切るための道具ではありません。
次章では、その補助線を現物確認へつなげていきます。
自分の家の近藤家の家紋を調べる方法
自分の家の近藤家の家紋を調べるなら、文献で系統を推測するより、まず現物に刻まれた紋を見つけるのが早く確実です。
墓石・仏壇・紋付には、家で実際に使ってきた紋が残っていることが多く、そこから正式な紋へたどれます。
見つかった図柄はそのまま写し取り、あとで図鑑や一覧と照合しましょう。
墓石・仏壇・紋付から探す
本家の墓石は、近藤家の家紋を確かめるいちばん頼りになる場所です。
とくに本家の墓石や仏壇は、家の中で受け継がれてきた紋がそのまま残りやすく、紋付の羽織や喪服には男性の第一礼装として定紋が入ることが多いので、手がかりが集まりやすいのです。
墓参りのついでに本家の墓石をスマホで撮っておき、帰宅後に家紋図鑑と見比べたところ、思い込みではなく図柄そのものから特定できた、という進め方がいちばん確実でした。
見てほしいのは「本家のもの」です。
分家で使う紋が簡略化されていたり、冠婚葬祭のために別の装いを使っていたりするため、まずは現物の紋を押さえることが先になります。
過去帳や家紋帳も手がかりになりますが、写真が残せるなら、あとで何度でも見比べられるぶん強いです。
本家・年長の親族に聞く
本家や年長の親族には、率直に「うちの家紋は何か」「本家はどこか」と聞いてしまうのがよいです。
口伝でしか残っていない情報は少なくなく、墓石の紋と話がつながって初めて、どの系統を見ていたのかが見えてきます。
高齢の祖父母に聞いておかなかったことを後悔し、あとから紋付や過去帳を頼りに探した、という失敗は起こりやすいものです。
聞ける人がいるうちに確認しておきましょう。
会話の中で、家紋そのものだけでなく「本家はどの家だったか」「葬儀や法事でどの紋を使っていたか」まで聞くと、断片がつながります。
答えがあいまいでも気にしすぎる必要はありません。
記憶の中の紋は、似た図柄と混同されやすいからです。
紋の名称を図鑑・一覧で照合する
確認した紋は、家紋一覧や図鑑で照合して正式名称を特定します。
ここで初めて、丸に下がり藤、丸に抱き鹿角のような名前にたどり着けます。
見た目だけで「藤っぽい」「角っぽい」と止めず、外周の有無、線の本数、向き、囲み方まで見ると、同じように見える紋の区別がつきます。
照合の出発点になるのは、本記事で扱う三系統です。
この作業の良さは、家の記憶と現物の両方を突き合わせられることにあります。
墓石、仏壇、紋付で拾った図柄が一致すれば、近藤家の紋としてかなり絞れますし、違いが出たなら「どの場面で別の紋を使っていたのか」まで見えてきます。
おすすめです。
二つ三つ候補が並んだら、実物写真を横に置いたまま比べてみてください。
形の差は思った以上に見つかるでしょう。
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