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原田さんの家紋|三つ引両と代表紋の由来

更新: 編集部
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原田さんの家紋|三つ引両と代表紋の由来

原田は全国に約28万から30万人ほどいる大姓で、順位でもおよそ50位台に入る名字です。原田の家紋としてまず挙がるのは丸に三つ引両と丸に剣梅鉢で、ただし苗字と家紋は一対一で結びつかず、同じ原田でも家系やルーツによって異なります。

原田は全国に約28万から30万人ほどいる大姓で、順位でもおよそ50位台に入る名字です。
原田の家紋としてまず挙がるのは丸に三つ引両と丸に剣梅鉢で、ただし苗字と家紋は一対一で結びつかず、同じ原田でも家系やルーツによって異なります。

原田という姓は「原の中の田」を表す地形姓として各地に独立して生まれ、その中でも筑前原田氏のように大蔵氏をルーツとする武家の流れが知られています。
つまり、地名由来の庶民の原田と、武家として名を残した原田が並び立つのであり、家紋を読むにはこの二層構造を押さえる必要があるのです。

三つ引両は横に引いた平行線を意匠化した引両紋の一種で、足利氏の二つ引両と並んで武家好みの力強い意匠として扱われてきました。
原田氏が主紋として用いたと伝わる背景には、こうした武威や矜持の感覚があると見てよいでしょう。

新選組十番隊組長の原田左之助に触れると、家紋は丸に一つ引きと伝わり、若い頃の切腹の逸話と結びついて語られます。
もっとも、史実と伝承が混ざる人物でもあるため、話題としては面白くても、本筋はあくまで「自分の家の紋を実際に確認すること」に戻して読むのがおすすめです。

原田さんの家紋に多いのは「三つ引両」

原田姓でまず押さえたいのは、代表的な家紋が丸に三つ引両紋と丸に剣梅鉢紋の2系統だという点です。
墓石に見慣れない平行線の紋を見つけて「これは何という紋だろう」と調べ始める場面でも、親族の紋付き羽織と墓石の紋が違っていて戸惑う場面でも、まずこの2つを知っておくと整理しやすくなります。
原田は全国に約28〜30万人、順位もおよそ50〜52位の大姓で、各地で独立して発生した名字だからです。

代表紋は丸に三つ引両と丸に剣梅鉢

原田氏の代表紋としては、丸に三つ引両紋と丸に剣梅鉢紋を先に覚えるのが近道です。
どちらも原田姓の系譜を考えるうえで手がかりになり、武家由来の家で見かけることが多い組み合わせとして整理できます。
原田家の紋を調べるとき、まずこの2系統に当たるかどうかを見るだけで、家の来歴を読む入口がぐっと見えやすくなるでしょう。

丸に三つ引両は、横または縦に引いた平行線を用いる引両紋の一種で、線の数や丸の有無で印象が変わります。
引両は『平家物語』にも見える古い語で、太い線が力強さを示すため武家に好まれました。
原田のように戦国期の武家伝承を持つ家では、旗印や紋所の系統がそのまま家の記憶を支えることがあるのです。

桔梗・茗荷・三つ引も原田姓に見られる

原田姓の紋は2系統だけではありません。
桔梗紋、茗荷紋、丸なしの三つ引なども確認されており、地域や家系によって細かな違いが出ます。
親族同士でも墓石と紋付き羽織で紋が食い違うことがありますが、それは珍しい例外ではなく、原田が各地で独立して成立した名字だからこそ起こる幅だと考えると分かりやすいはずです。

このバリエーションは、原田という名字が地形姓として各地に生まれた事情ともつながります。
筑前国怡土郡原田、遠江国佐野郡原田、日向国諸県郡原田郷のように起点が複数あれば、武家化した家と在地の家が別々に紋を選んでも不思議ではありません。
だからこそ、墓石で平行線の紋を見たときも、桔梗や茗荷を見たときも、「原田らしくない」と切り捨てるより、どの系譜に近いかを見る視点が役立ちます。

ℹ️ Note

原田氏は武家・大蔵氏系の流れを含むため、紋の違いは家の出自を読むヒントになります。紋だけで断定せず、家ごとの伝承と合わせて見るのが自然です。

苗字=家紋が一対一でない理由

苗字と家紋は一対一で結びつきません。
同じ原田でも、由来や本家が異なれば紋も変わるので、「原田=この紋」と断定するのは成り立たないのです。
原田左之助の家紋が丸に一つ引きと伝わるように、個人名や伝承が前面に出る例もあり、苗字だけで紋を固定してしまうと取りこぼしが増えます。

それでも代表紋を知る意味はあります。
自家の紋が丸に三つ引両紋や丸に剣梅鉢紋に含まれていれば、武家や大蔵氏系のルーツを推測する入り口になるからです。
原田は山陽から九州に厚く分布し、山口・岡山・徳島などでも見かける大姓ですから、墓石、仏壇、紋付き着物、本家の記憶を照らし合わせてみてください。
そこから家の輪郭が少しずつ見えてくるでしょう。

原田という苗字の由来とルーツ

原田は「原(平原・原野)」と「田」を組み合わせた地形姓で、原野を開いてできた田を指す地名から、全国各地で独立して生まれた姓です。
全国に約28〜30万人、順位およそ50〜52位という大姓ですが、分布は均一ではなく、山陽地方から九州にかけて厚く、山口県・岡山県・徳島県などに多いのが特徴です。
自分の本籍地や祖父母の出身地を地図で重ねると、この偏りが意外なほどはっきり見えてきます。
親戚から「うちは九州から来た」と聞いていた話が、筑前のルーツ説と符合して腑に落ちた、という体験にもつながりやすい姓でしょう。

「原の中の田」を表す地形姓

原田という姓の骨格は、文字どおりの地形にあります。
原野の一角を開いて田を作れば、そこには「原の中の田」という実感が残る。
そうした土地の呼び名が、そのまま名字になったと考えると理解しやすいです。
しかも地形姓は一か所で生まれて広がるだけでなく、似た地形や開墾の記憶が各地にあるため、原田も全国で独立に発生したとみるのが自然になります。

この成り立ちが示すのは、原田姓が単なる家名ではなく、土地の履歴を背負った名前だということです。
山陽から九州にかけて多い分布も、古くから農地開発や人の移動が盛んだった西日本の歴史と重なります。
山口県、岡山県、徳島県に多いと聞くと、地図上の点がばらばらに見えても、背後には「原を開いて田を作る」という同じ生活感覚が流れているとわかるはずです。

筑前・遠江・日向に分かれる主要ルーツ

原田のルーツ地は一つではありません。
筑前国怡土郡原田(福岡県糸島市)、遠江国佐野郡原田(静岡県掛川市)、日向国諸県郡原田郷(宮崎県えびの市)などが代表的で、それぞれ別々の土地の名として残っています。
ここを押さえると、原田姓を「どこの家か」と一つに決めつけるのが危うい理由が見えてきます。

とくに代表的なのが筑前国怡土郡原田(福岡県糸島市)です。
九州北部に根を持つ系譜が厚いことと、原田姓の西日本集中は、ここで自然につながります。
遠江や日向のように別の国に原田地名がある事実も、姓が地名から生まれる以上は当然で、同じ字を使っていても出自は別筋になるのです。
だからこそ、祖父母の話す「九州から来た」という記憶が、筑前ルーツ説と重なったときに強い納得感が生まれるのでしょう。

代表的なルーツ地現在の地名位置づけ
筑前国怡土郡原田福岡県糸島市代表的なルーツ地
遠江国佐野郡原田静岡県掛川市別系統の主要ルーツ地
日向国諸県郡原田郷宮崎県えびの市別系統の主要ルーツ地

藤原氏・源氏・大蔵氏と出自が分かれる

原田姓は、地名由来であると同時に、武家としての出自も複数に分かれます。
藤原氏系、源氏系、大蔵氏系があり、ルーツが違えば家紋も異なる。
つまり、同じ原田でも祖先の出発点は一様ではなく、そこに家ごとの歴史が積み重なっているわけです。
苗字だけで家の背景を言い切れないのは、この分岐があるからです。

最も著名なのは大蔵氏を前身とする筑前原田氏で、次章で掘り下げるべき中心になります。
天慶2年(939年)に大蔵春実が藤原純友の乱の鎮圧で戦功を立て、大宰府を拠点に北部九州へ勢力を広げました。
そして、その嫡流が原田村を名字の地として原田氏を称しました。
建長元年(1249年)に種継・種頼父子が築いた高祖城を拠点に戦国大名化し、天正15年(1587年)の豊臣秀吉の九州征伐で当主・原田信種が改易され、高祖城も廃城となります。
家紋も、原田氏の代表紋として丸に三つ引両紋・丸に剣梅鉢紋が挙げられ、ほかに桔梗・茗荷・三つ引も見られるため、紋の違いが系譜の違いを映すと考えると整理しやすいでしょう。

武家・原田氏と大蔵氏のつながり

大蔵氏から原田氏へのつながりは、筑前原田氏の出自を押さえるうえで外せない。
大蔵春実が天慶2年(939年)に藤原純友の乱鎮圧へ出陣して戦功を立てたことが、一族が北部九州で存在感を強める起点になったからです。
大宰府を拠点に広がった大蔵氏の嫡流が原田村(筑前)を名字の地とし、原田氏を名乗った流れを追うと、武家の姓が土地と軍事的役割の双方から形づくられたことが見えてきます。
家系図に「大蔵」の文字を見つけて原田氏との関係を調べ直すと、単なる改名ではなく、勢力の伸長に応じて名字が定着していく過程だとわかるでしょう。

大蔵氏から原田氏へ

大蔵氏は大宰府の周辺で力を蓄え、北部九州の実務と軍事を支える立場から地盤を広げていきました。
そこに天慶2年(939年)の藤原純友の乱鎮圧が重なり、大蔵春実の戦功が一族の評価を押し上げたのです。
戦功は単なる武勇の記録ではなく、在地での発言力を裏づける材料でもありました。
だからこそ、嫡流が原田村(筑前)を名字の地として原田氏を称した事実は、土地支配と家の名乗りが結びついていたことをよく示しています。

現地で糸島の高祖城跡に立つと、この流れが机上の系譜ではないと実感します。
海と平野を見渡す場所に居城を置いた意味は明快で、周辺の交通や勢力圏を押さえるうえで、ここが都合のよい拠点だったことが伝わってくる。
原田氏の名は、単に大蔵氏から分かれたというだけでなく、筑前の現場で武家として根を張った結果として定着したのである。

筑前高祖城を拠点とした戦国大名・原田氏

原田氏が戦国大名として姿を整えるうえで決定的だったのが、建長元年(1249年)に原田種継・種頼父子が築いた高祖城だ。
城を持つことは、単なる居館の確保ではない。
周辺の人・物・軍勢をまとめ、いざというときに動員できる政治装置を持つことを意味します。
高祖城を拠点にした原田氏は、龍造寺氏らと渡り合いながら勢力を保ち、必要に応じて従属も強いられた。
そこには、独立性を守ろうとする在地武家の現実がそのまま表れているではないだろうか。

比較すると、高祖城は原田氏にとって「守るための城」であると同時に「周囲と交渉するための城」でもありました。
城下に人を集め、軍事と統治を一体化させることで、原田氏は単なる一族から地域支配者へと変わっていったのです。
家の格を示す紋や系譜が重視されるのも当然で、勢力の背景にある歴史を示す符号として働いたと考えるとわかりやすい。
三つ引両の背景をたどるなら、この拠点性を抜きに語れません。

九州征伐による改易とその後

天正15年(1587年)、豊臣秀吉の九州征伐で当主・原田信種が改易され、高祖城は廃城となった。
戦国大名としての原田氏はここで表舞台から退くが、終わり方はあまりにも典型的です。
中央権力が九州全体を再編する局面では、地域で積み重ねた軍事力や城郭そのものが、もはや生き残りの保証にならなかったからでしょう。

それでも、高祖城跡に残る地勢や、家系に刻まれた「大蔵」の記憶は消えません。
武家としての原田氏は歴史の前景から退いたものの、その紋と系譜は今も語り継がれています。
古い名字の連なりを追うと、改易は断絶ではなく、名乗りが記憶として残る転機でもあったとわかるはずだ。
原田氏をたどることは、九州の在地武家がいかに成立し、いかに姿を変えたかを知る手がかりになるのである。

三つ引両紋の意味と由来

三つ引両紋は、横または縦に引いた平行線を組み合わせた引両紋の一種で、三本線の意匠をもつ紋です。
原田氏の主紋として伝わり、線の本数だけで家の識別ができる点に、この紋章の面白さがあります。
見た目は単純でも、戦場の旗印から家紋へ移る過程で、武家社会の秩序を支える記号として働いたところに意味があるのです。

引両は「龍」や旗印を象徴する説

引両紋の由来には諸説あり、線をただ並べただけの図形に見えても、その背後にはさまざまな解釈が重なっています。
『両』を『龍』とみて龍を象徴するとする説、霊を表すとする説が知られますが、定説はありません。
引両という語が『平家物語』にも見え、平安時代にはすでに存在したと考えられることを踏まえると、かなり古い段階から権威や威勢を示す記号として扱われていたと見てよいでしょう。
単なる模様ではなく、名乗りに近い役割を持っていた、ということです。

一つ引・二つ引・三つ引の違い

引両紋は、横や縦に1〜7本の線を引いた形状の紋の総称で、そのうち三本線が三つ引両になります。
二つ引は足利氏の二つ引両、一つ引は新田氏の大中黒、三つ引は三浦氏の三つ引として知られ、本数の違いがそのまま家ごとの識別になっていました。
実物で二つ引と三つ引を見比べると、差はほんの一本なのに、受ける印象は驚くほど変わります。
そこに、紋章が「似ていても同じではない」世界で成り立っていることがはっきり表れます。

武家に愛された力強い意匠

引両が武家に好まれたのは、線が太く、遠目にも判別しやすく、旗や軍旗にのせたときに力強く映えるからです。
戦場では複雑な図柄よりも、ひと目で家を示せる単純な形が強みになりますし、だからこそ引両は家紋へと定着していきました。
大河ドラマで見た足利の旗印と、原田氏の紋が同じ引両系だと気づくと、同じ系統の意匠が武家のあいだに広く共有されていたことが見えてきます。
室町将軍家から地方の一族まで、本数の違いで個を立てる発想は、武家社会の合理性そのものだったのでしょう。

剣梅鉢・桔梗・茗荷など他の代表紋

梅鉢紋は、原田姓で三つ引両に並ぶもう一つの代表的な系統で、剣梅鉢を含む形がよく知られています。
花弁を独立した円で表す梅花の意匠で、名は花弁が舞楽の太鼓の撥に似るところから生まれたとされます。
天満宮の神紋として広く見かける紋でもあり、家紋としての原田と信仰の結びつきを考える入口になるでしょう。

剣梅鉢と天神信仰のつながり

梅鉢紋は菅原道真への天神信仰と深く結びつき、太宰府天満宮をはじめ全国の天満宮の神紋として広がりました。
梅の花が道真のイメージと重なっただけではなく、神前に掲げる紋としても整った形を持ち、信仰の場で反復されるうちに広く定着したのです。
天満宮で梅鉢を見て自家の紋と似ていると気づき、そこから天神信仰との関係を調べた、という経験は珍しくありません。
紋は単なる飾りではなく、家と神社の距離を一気に近づける手がかりになるからです。

剣梅鉢は、その梅鉢に剣を加えた力強い変形である。
輪郭に緊張感が出るため、同じ梅鉢でも印象がぐっと引き締まります。
やわらかな花紋に武断の気配を重ねる発想は、信仰を尊びつつ家の威勢も示したい場面に合っていたのでしょう。
原田の紋を見比べると、似た系統の中にこうした表情の差があり、そこが面白い。

桔梗紋・茗荷紋の意味

桔梗紋は、星形の清楚な花を意匠化した紋です。
武家に好まれたのは、形が端正で、見た目に凛とした印象を与えるからでしょう。
原田姓でも確認され、梅鉢とは別の美意識が選ばれていることがわかります。
親族の家で桔梗紋と梅鉢紋が混在しているのを見て、分家のたびに紋が変わったと聞く場面は印象に残ります。
紋は血筋だけで一律に決まるのではなく、家の歩みを映すものだと実感しやすい瞬間です。

茗荷紋は、仏教の摩多羅神と結びつく縁起紋で、みょうがが冥加に通じるとも受け取られてきました。
音の連想と信仰が重なって、めでたい印として扱われたところに特徴があります。
桔梗が武家の端正さを感じさせる紋なら、茗荷は信仰と語呂の縁起を前面に出す紋だと言えるでしょう。
原田の中でこれらが併存するのは、家ごとに求めた意味が違うためです。

意匠の特徴結びつく背景原田姓での位置づけ
梅鉢紋梅花を円で表す天神信仰、太宰府天満宮代表系統の一つ
剣梅鉢梅鉢に剣を加える神紋の派生、武家的な強さ梅鉢の変形
桔梗紋星形の花を図案化武家に好まれる端正さ確認される紋
茗荷紋みょうがの形を意匠化摩多羅神、冥加の縁起確認される紋

家ごとに紋が分かれる背景

同じ原田でも家ごとに紋が分かれるのは、分家、婚姻、信仰、主家からの拝領が重なって起こるからです。
分かれた家が新しい紋を持てば、同族の中でも見分けがつきやすくなり、しかもそこに由来の説明が付くことで家の記憶が残ります。
天神信仰に寄れば梅鉢、武家の気配を立てるなら桔梗、縁起を担ぐなら茗荷というように、紋は必要に応じて選ばれたわけです。
おすすめなのは、原田の紋を一つの答えとして見るのではなく、家ごとの事情を重ねて眺めることです。

紋の多様さは、系図の枝分かれをそのまま視覚化したものでもあります。
親族の家で梅鉢と桔梗が並んでいても、それは例外ではなく、むしろ自然な歴史の結果です。
どの紋が正しいかではなく、なぜその紋になったのかをたどると、家の関係が立体的に見えてくる。
そこに家紋を調べるおもしろさがあるのではないだろうか。

新選組・原田左之助の家紋

原田左之助は、天保11年(1840年)に伊予松山藩城下で生まれた新選組十番隊組長で、直情径行の気風と剣の腕で知られた人物です。
原田姓の家紋をたどる入口としても語りやすく、三つ引両の系譜を考えるうえで手がかりになります。
左之助の名を追うと、史実と伝承が重なり合う家紋の世界が見えてきます。

原田左之助の生涯と松山藩

新選組好きが原田左之助の紋を調べるうちに、自分の原田姓のルーツにも関心が向く、という流れは珍しくありません。
原田左之助は天保11年(1840年)に伊予松山藩城下で生まれ、新選組十番隊組長を務めた剣士です。
若さゆえの勢いをそのまま刀に乗せるような人物像が語られ、隊内でも人気があったと伝えられます。
だからこそ、家紋の話も単なる図柄ではなく、その人物の生き方に結びつけて読まれやすいのです。

松山藩出身という来歴は、原田左之助を「新選組の中でどこから来たのか」が分かる人物にしています。
出自が見えると、剣士としての経歴だけでなく、どの土地の気風や家の記憶を背負っていたのかまで想像しやすくなるでしょう。
原田姓の人がここに引かれるのも自然で、名前と紋がひとつの系譜として立ち上がるからです。

「丸に一つ引き」と切腹の逸話

彼の家紋は「丸に一つ引き」と伝わり、引両系の紋に属します。
三つ引両を本筋として見ると、引きの本数や丸で囲む形の違いが、同じ系統の中での分かれ方を示していると分かります。
家紋は一枚岩ではなく、家ごとの伝来や後世の語りで姿を変えるため、似た図柄でもそのまま同一視できないのが面白いところです。

若い頃に上官と喧嘩し、「腹の切り方も知らぬ」と罵られて実際に切腹してみせ、その傷跡にちなんで紋を定めた、という逸話もよく知られています。
もっとも、この話は伝承色が強く、史実としては慎重に扱うべきです。
とはいえ、こうした物語が残ること自体が、原田左之助がどれほど強い印象を周囲に残したかを物語っているのではないでしょうか。

創作で語られる家紋に注意

ゲームやドラマで見た原田左之助の紋が、史料で語られる形と食い違うことがあります。
そこに気づくと、創作で流通する意匠と、実際に家に伝わる紋は別物だと実感できるはずです。
テレビの画面で見慣れた図柄ほど「これが本当だ」と思い込みやすいので、家紋を調べるときは確認の視点が欠かせません。

ℹ️ Note

史実と創作の差は、人物像だけでなく紋にも出ます。原田左之助のように伝承が強い人物ほど、図柄の出どころを分けて見ていくと理解が深まります。

原田姓のルーツをたどるときも同じです。
似ている紋、語り継がれた逸話、作品で補強されたイメージを切り分けてみてください。
そうすると、家紋は単なる模様ではなく、土地と家と人物の記憶が重なった記号になるのです。

自分の家の家紋を調べる方法

家紋を調べるときは、まず家に残る物から当たるのが最短です。
墓石・墓誌、仏壇・位牌、紋付きの着物や羽織には、同じ紋が反復して残っていることが多く、写真に撮って見比べるだけでも手がかりが増えます。
苗字だけで絞り込もうとすると外しやすいので、現物確認を起点に、本家や親族、菩提寺へつないでいく流れが実用的でしょう。

墓石・仏壇・紋付きで確認する

最も確実なのは、墓石と墓誌を確かめる方法です。
多くの墓石では竿石や上部に家紋が刻まれているので、墓参りの際に正面だけでなく上部も撮っておくと、後から紋の形を見比べやすくなります。
実家の墓石を改めて見た瞬間に自家の紋に気づき、帰宅してから写真を拡大して調べた、という進め方は実際に使いやすい。
現場では見落としやすい細部でも、写真なら輪郭や配置を確認しやすいからです。

仏壇・位牌・提灯も見逃せません。
冠婚葬祭で使う紋付きの着物や羽織、特に背紋は、家の紋がそのまま入ることが多く、法事や親族の集まりで見つけやすい場所になります。
家の中に複数の手がかりが残っているなら、同じ紋が繰り返し出るかを比べてみましょう。
紋は飾りではなく、家の来歴を示す印である。
だからこそ、墓石と室内の両方を確認すると、判断がぶれにくくなります。

本家・親族・菩提寺にたずねる

物が見つからないときは、人にたずねるのが次の一手です。
本家の伯父に電話して家紋の名前と由来を聞き、記事の代表紋と照合できた、という流れはとても現実的でしょう。
年長の親族は、昔の冠婚葬祭で使った紋付きや、仏壇まわりのしきたりを覚えていることが多いので、口頭の記憶でも十分な突破口になります。

菩提寺の過去帳をあたる方法も有効です。
家の系譜や法要の記録に、紋と結びつく情報が残っていることがあり、本人の記憶だけでは埋まらない空白を補えます。
人の記憶、寺の記録、家に残る実物。
この三つを重ねると、紋の見当は一気に固まるはずです。
おすすめです。

苗字だけで家紋は確定できない

苗字が同じでも、家紋まで同じとは限りません。
分家や養子縁組、地域ごとの受け継ぎ方の違いで、同じ姓でも別の紋を使う家は少なくないからです。
したがって、原田姓に多い紋を見つけたとしても、それはあくまで代表例にすぎず、自家の紋だと断定する材料にはなりません。
苗字は入口、現物は決め手です。

家紋を確定したいなら、最終的には自家の墓石、仏壇、紋付き、親族の証言を突き合わせてください。
写真を集め、呼び名を確かめ、由来を聞き取っていくと、紋の輪郭は自然に定まっていきます。
手間はかかりますが、そこまでやって初めて「うちの紋」と言えるようになるのです。
試してみてください。

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